不易と流行

雑感

不易流行は、松尾芭蕉の言葉のようだ。五・七・五という定型が俳句にとっての不易であるが、俳句はたえず新しいものを求め変化していくものだということをいい、さらに不易の本質は流行と一体のものだとしたといわれている。
不易流行のとらえ方は、極めて弁証法的だと思っている。変わらない普遍のものと絶えず変化していくものは、一体のものだというとらえ方につながっている。

不易流行からはいろいろなものが見えてくる。激しく変化発展していく物事の中には、なかなか変わらない普遍的な法則が潜んでいる。本質は現象する。現象=事物の具体的な存在の仕方だが、激しく変化するものの中に法則が貫かれている。しかも、その法則は、単なる抽象的な概念ではなく、現象そのものの中に物理的に存在している。つまり、現象と本質は一体のものだということだ。この現象と本質の関係と不易流行の関係は非常によく似ている。

不易と流行というふうに切り離して考えてみよう。
不易というのは、なかなか変わらないものという意味だ。永遠不変としないのには理由がある。
ぼくは永遠不変のものというとらえ方はしない。すべての事物は、歴史的に形成されたものであって、原子という物質も歴史的な生成物(どんなに生成された時間が短くても、物質の生成過程にはダイナミックな歴史があったという説を信じている)だという立場に立っている──しかし、このようにして生成された事物の中には、永遠不変であるように安定的な性質を示すケースも多い。

人類の歴史でいえば、人類は、多くの犠牲を払いながら自由と民主主義を発展させてきた。第2次世界大戦の結果として生まれた日本国憲法には、人類の歴史的な成果が刻まれている。その一つの思想が憲法第9条だ。第25条の生存権、基本的人権という考え方も人類史的な到達点が反映している。これらの成果は、不易として守らなければならない。もちろん、すべての事物は変化の中にあるから、文言を一切かえてはならないとは全く思わないが、かえる場合でも人類が到達した到達点を踏まえて発展させるべきものが数多く含まれている。

一体何が、人類にとって守るべき価値あるものなのか。
私たちは、日本国憲法を学習するとき、日本国憲法を人類史の発展の中において、その深い価値を再認識する必要がある。
日本国憲法の中には、人類が勝ち取ってきた不易とすべきものが数多く含まれている。この不易を大切にすることが、本当の流行=変化を生み出して行く。

一方、日本の場合、新自由主義的な改革は、大日本帝国憲法を理想とするような復古主義的な考え方と深く結びついている。この経済理論による宣伝は、一種の流行になっている。古くなった日本国憲法を変える、日本に合致したものにするというような宣伝が、流行っている。この巨大メディアの力を借りて流行っているものは、一皮むけば、時代を逆行させる考え方によって成り立っている。「改革」という名前で反動的な動きが起こっている。本当の姿は、ものすごく古くさいのに、戦後の民主的な成果を作りかえることによって、それがさも新しいかのような描き方に成功している。
もちろん、歴史は、どんなに反動的なものであっても、新しい政治条件、新しい経済条件の下で具体化されるので装いは新しくなる。たとえば、軍事同盟。軍事同盟は、20世紀の遺物なのに、集団的自衛権という名でリメイクされて押し出されてくると、何だか新しいもののような匂いをまとわせる。
派遣労働。これは、戦前や戦中は、手配師による日雇い労働者だった。蟹工船の世界だ。これがコンピューターによる管理になると、携帯電話で仕事を連絡し、駅に観光バスで迎えに行き、必要な会社におろして回るという形になる。人材派遣会社という名前も何だかスマートだ。

不易と流行が一体のものだとすれば、現代の流行とはいったいなんだろうか。新自由主義的な現代の流行は、人類が勝ち取ってきた価値ある成果の上に立って、物事を変化発展させるものではない。橋下市長の動きもこの流れの中にある。不易を伴わない流行は、作為的に作られたものだろう。「あのときの熱狂的な支持は何だったんだろう」。「われわれはあのとき、何を考えていたんだろう」──こういうことが、歴史の中ではしばしば起こってきたが、不易を伴わない流行は、結局はこういう形になるだろう。

日本国憲法に体現された、人類とって価値あるものを守りながら、さらに発展させようとする運動が古くさいかのようなとらえ方がある。こういう雰囲気は、新自由主義的な改革が新しく、これに抵抗するものは古いという描き方によって生み出されたものだ。ただ注意しなければならないのは、新自由主義的な改革に対し反対だというカウンターパンチ的なたたかいだけでは、「改革に反対している抵抗勢力」というふうに描かれてしまうことだ。

本物の改革は、守るべき価値あるものを大事にしながら、それを発展させる方向に歴史を動かしていくというものだ。私たちは、不易を踏まえて、本物の流行を生み出して行かねばならない。そのためには、真に現実的な、発展の具体的な提案を繰り返し掲げる必要がある。
このたたかいに日本の未来がかかっている。
不易と流行、この考え方を胸にきざんで立ち向かいたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明