アベノミクスは、資本主義社会を貫徹している法則によって破綻する。

雑感

橋本市の小学校の先生と話をした。
「小学生は、塾と習い事で疲れている」という話だった。
中学校への進学からすでに古佐田が丘、智辯、大阪方面の私立などへかなりの人数が進学するので、地元の中学校に行く子どもは、半数ほどという話だった。
こういう話を聞いていると、少子化が進行しているのに受験競争が過熱しているというような印象をもつ。
「地元の中学校に進学させない方が良かった。私は間違った」という母親に以前出会ったことがあったけれど、橋本市では、そういう話はすでに織込み済みで事態が動いているということだった。
中高一貫校を和歌山県が作り、これに対抗するとは絶対に言わないが、橋本市は小中一貫を作っている。

地域が完全に壊れ始めている。夫婦共働きが増えたこと事態は、そんなに大きな問題ではない。むしろ、夫も妻も長時間労働で、帰宅時間が遅いところに深刻な問題が横たわっている。
女性が社会に進出して、手に職業を持ち自分のキャリアを生かして社会と深く関わって生きることは、いいことだと思っている。
しかし、日本の中における「働く」ということが、「戦えますか」というレベルになっている。
社会に出て働くことが生きがいになり、同時に地域で豊かに生きることも生きがいになるような社会のあり方を考えると、人生に占める仕事の割合が、どんどん増大していくのはきわめておかしい。

8時間が睡眠で、8時間が自由に(地域の比重が大きい)過ごす時間で、8時間が睡眠ということになると、人間はかなり豊かになれると思われる。仕事と同じような時間が毎日、地域にある(といっても食事や入浴や家事を差し引くと平日は労働時間と同じだけ自由な時間があるわけではないけれど)。これに土日の休日が入ってくると、仕事と同じだけ自由な時間があることになる。もしかしたら仕事よりも自由な時間の方が多くなる。

人間は、自由な時間の中で豊かに多面的に発展する。地域の中にゆったりとした時間が流れはじめると、子どもたちは、このゆったりした時間の中で育つようになる。もちろん、こういう社会をめざす場合は、大学受験に至る教育課程から、競争というものを排除する必要がある。競争は、大学に入ってからでいい。子どもたちは、小さい頃から自発的な感情を大切にされて、知的好奇心に満ちた環境の中で多面的な発展の可能性を秘めて育てられる。たっぷりある自然体験、豊かな社会体験、豊かな家族関係、自然に豊かになる地域の中での子育て。これらのことは、すべて、大人が獲得した自由な時間の中で実現していく。

労働時間が短くなると、人々は地域においても何らかの経済活動や組織活動を重層的に始めるようになる。時には地域にNPOを作って、ボランティア活動を行うようになるだろう。地域の中に自然エネルギーによる電力会社を起業するようになるかも知れない。
サッカーチーム、野球チーム、音楽や絵画サークル、文学サークル等々、地域における公民館活動は、きわめて活発になる。人々は、この豊かな自由時間のために生きるようになる。

子どもたちが、小学校高学年からすでに疲労とストレスの中にあり、地域における生活が破壊されている話を聞いて、膨らんできたのは、豊かな地域を作りたいという思いだった。
日本の最大の問題の一つは、長時間過密労働にある。魂や家庭における団らんまで企業に吸い取られて、さまざまな矛盾を抱え込んで苦しんでいる国。日本。
この日本を変えるためには、労働法制を人間らしい生き方ができるように変える必要がある。

参議院選挙で、労働法制について、抜本的な改正を求めている政党は、日本共産党だろう。非正規雇用の拡大は、日本社会をきわめて不安定なものにし、結局は人間の豊かな可能性を破壊する方向にしか働かない。非正規雇用の拡大は、低賃金と劣悪な労働環境の生産ということであり、同時に正社員の減少と正社員の賃金引き下げと待遇悪化しかもたらさない。

企業の利益の源泉は労働にある。労働による商品の生産こそが、社会の富の源泉に他ならない。しかし、この10年、働く人々に非正規を増大させ、正社員を減少させ、賃金を70万円も減少させて、結局は社会の総生産を現状維持に押しとどめてきた。働く人の賃金をカットすればするほど、資本の側には資本という名の富が蓄積する。近視眼的にみれば(といっても10年単位ぐらいだが)、企業は儲かる。価値を生みだす労働者の賃金を搾り取れば、企業の富は増大するのだから。
しかし、働く人間から徹底的に搾り取るということは、人間の使い捨てであり、人間の創造性や意欲を削いでいく。結局、会社の側は、人間を使い捨てることによって、蓄積してきた労働の生産性や商品を開発する力、良い製品を作る技術などなどを破壊していく。
本当は、価値を生み出す労働は、再生産されなければならない。労働の再生産は、衣食飲住などの生活費、子どもの教育費、大人の研修費、娯楽費、社会保障などなどによってはじめて安定的になる。こういうものを壊すような働かせ方は、労働の再生産をも破壊する。うつ病の増大など人間性まで壊してしまうような働かせ方は、奴隷的な労働であって、再生産どころか、人間性まで食い尽くすものだと言わなければならない。

徹底的な絞り取りは、搾取に他ならない。現代の搾取は、労働を不安定化させることによって、搾取を強めるという方向に向かっている。長時間労働、残業代を払わないという搾取、過密労働による生産性の向上をめざす中で生まれる搾取だけではなく、非正規雇用の拡大による低賃金の拡大をテコとした、働く人間全般に対する賃金の引き下げ、これが、現在進行形の搾取形態ではないだろうか。

安倍内閣は、この上に地域限定の正社員制度の導入、残業代を支払わなくてもいいしくみの導入、非正規雇用の拡大、解雇自由の実現によって、より一層、働く人を不安定化させて搾取を強めようとしている。この道は、資本の側にとって自分の利益を自分で破壊する行為、自滅行為に他ならない。資本は、働く労働者がいてはじめて資本となる。働く人が生産する質の高い商品を販売してはじめて資本の側は利益を手にする。働く人を不安定化すれば、長期的に経済が発展しなくなるのは、当たり前のことだ。この10年間、小泉改革以降、労働法制を徹底的に改悪してきたけれど、その帰結は国内総生産の低迷だった。

労働者を徹底的に絞れば絞るほど、資本の儲けは増大する。しかし、それは儲けの土台を破壊する。日本の巨大企業は、このことを全く考慮に入れないで、国際競争に勝つことだけを考えて暴走している。勝つたびに、資本の屋台骨が悲鳴を上げている。屋台骨を軋ませた最大の立役者は、会社そのものだということが見えていない。

労働者の増大は、資本主義社会の墓堀人の増大である。しかし、徹底的な労働者への搾取は、資本主義による会社の墓堀人の生産に他ならない。
原発の事故が起こり深刻な事態を抱えているのに、コスト論を最大の理由にして再稼働を推進している。人間の命よりも儲けの方が大切。この考え方は、資本による自殺行為に他ならない。
資本の暴走に歯止めをかけるのは、政治の責任だが、安倍内閣は、この資本の暴走に火を注ごうとしている。
この火は歴史に残る大失政になる。
アベノミクスは、資本主義社会を貫徹している法則によって破綻する。


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雑感

Posted by 東芝 弘明