提案は全面的に。議論は柔軟に。

雑感

朝、勤労者会のチラシを印刷に行った。240枚の印刷にしては、印刷物は分厚かった。紙の厚さがいつもよりも分厚かった。事務所で使っている上質紙とは違う紙だった。デュプロの印刷機はインクが濃く出る。役場の次の印刷機はぜひリソグラフにして欲しいなと思ってしまった。全世界で販売されている輪転機は、リソグラフとデュプロしかないようになったのだという。それはリコーが輪転機から撤退してしまったからだ。印字の濃さの違いは、インクの性能の差でもあるらしい。

印刷を終わってから事務所に行った。この前確認した財政上の管理のことについて、文章化してから機構図を作成した。とにかく会議で責任者を果たす時には、考え方については、できるだけ具体的にきちんと考え方を示すように努力している。叩き台はいつも、考え方も含めてきちんと提案する。しかし、それはあくまでも叩き台なので、議論によって内容が変化するのは全く構わない。提案したら自分の考え方を押し通すことはしない。もちろん、どうしてそう考えたのかは説明する。その上で大いなる変更は十分ありうるという形態をとっている。

考え抜いた上できちんと提案しないと、議論はうまくいかないと思っている。要は、議論をどこから始めるべきかと言うことと、議論によって深化させることを分けているということだ。自由な議論から出発して、予期せぬところに辿り着くのは非効率だろう。よもやま話や雑談はこれでいいし、そこから生まれることもたくさんある。しかし、組織された会議の場合は、効率も求められるので、できる限り提案は詳細に行う。もちろん、物事は俯瞰と細部という複眼が必要になる。大きな視点で全体を見る目と細部にこだわる目の両方を兼ね備えることを意識している。

では、組織における議論をどうするか。ここに会議における努力がある。提案を押し通し続けると、その集団は死んでしまう。意見が出なくなる。提案は全面的に。議論は柔軟に。提案に対する異論を大いに歓迎し、多くの提案を取り込んで、みんなで物事を確認しながら決めていく。これを繰り返していくと組織は活性化する。意見が自由に、多面的に出るようになると組織は成長する。参加者の主体性が表に出てきて、いろいろな意見が出るようになると、みんなの知恵で組織が動くようになる。ただし、そうなるまでに組織半年も1年もかかる。水は高いところから低いところに流れる。会議の主催者が低い位置に立っていないと水は流れてこない。

部下が提案するときも同じ。会議の主催者はまずはあんまりものを言わない。多くの人の議論が始まるのを待つのがいい。発言するときは、全部思っていることを話す。割り引く必要はない。会議は仕切らない。

会議に集中していると、それぞれの人の発言を覚えるようになる。「あのときにこの人はこう語った」ということをよく覚えている。集中力がそうさせるのだろう。将棋を指す人が、将棋の棋譜を覚えているのと同じようなことが起こる。

そういう記憶は、会議の改善に生かす。なぜあのような発言をしたのだろうか。その考え方はどこから生まれるのだろうというような感じ。記憶が会議の改善の役に立つこともある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明