時代が流れていく
議会だより編集委員会が開催された。会議は2時の時点で作業を終わって、確認をした後、お開きとなった。
日曜版の配達にいった後、智多さんのお通夜に参加した。この1週間のうちに議員だった藤井さんと朝本さん、智多さんが亡くなられた。智多さんの通夜席の帰り、県議の堀さんに会うと、「わいらと一緒だった議員がようけ亡くなったなあ」と言った。亡くなった議員の人たちの名前をあげて、暗い空を見上げた。
時代が流れていく。32年間の議員活動は、いわばあっという間だった。一生懸命、時間に追いかけられながら周りをみていると、なんだか、自分だけが変化しない中で、映画を見ているような感覚に陥る。
しかし、自分が確実に歳をとっているのは、一般質問時の映像を見ていると分かる。62歳になった自分が議場の中にいる。自分の中にも同じように時間が流れている。
最近、知能指数のテストをネット上で試してみた。テストに答えながら感じたのは、これって数字や図形に対する認知度を試すものであって、知能の全容を明らかにするものではないことを感じた。数学に長けた人がとけば、高い数値がでる。しかし、このテストの数値が高かったとしても、文章を読んでまとめて整理する力は、ほとんど測れないなと感じた。しかし、このテストをしたことによって、知能とは何か、頭の賢さとは何かについて、考えるきっかけになった。
頭の良さについて語っている本を手に入れて読んでみたくなっている。
東芝さん、おはようございます。こないだは酔っぱらって書き込みをして済みませんでした。今はシラフです。
「時代」ですね。このテーマは重いですね。俺は東芝さんと同い年である訳で、東芝さんの気持ちは分かる様な気がします。俺の周りでも死んでゆく友人知人がちらほら出て来てとうとうそんな時期かと暗澹たる気分にもなります。友人を亡くした時は気分も落ち込みます。
頭の良し悪しは、相対的なもので、数値化する事自体が無意味な気がします。例えば、小学生の読書感想文というものがあるそうですが、最近は無くなる傾向にあるそうです。模範的な感想文というものがあるそうですが、模範的な感想文を書いたら丸を付けてもらえる訳だけども、「俺はこう考える」と、模範的な感想文に反したものを書くと、ぺけを点けられるそうです。これは如何なものでしょうかね。個性というものを排除しようとした従来の学校教育が間違っている訳で、人間にはある部分突出した才能というものがあるのであって、せっかくそういう才能がある場合はその突出した才能というものを充分に伸ばしてあげるというのが教育な訳で、その部分が日本は遅れていると感じます。これは理系、文系に係わらずその突出した才能を如何にして伸ばすか、これが天才を育てる教育だと思います。音楽、絵などが此の子は普通と違うと先生が感じたらその芽を摘まずに伸ばしてあげる。日本はその点遅れている様な気がします。人と違う。その事を寛容する社会。此れが大事だと思います。ノーベル賞を取る程の天才的な人は日本の教育現場が窮屈なので、海外に人材が流出している点も問題です。平均的な人間を育てて官僚主義的な人間がいればそれで良かった時代はもう古い思想なのです。人類の危機的で今日的な問題解決が出来る人間というものは平均的な人材の中からは生まれません。どこか普通と違う変わった人間がコペルニクス的転回で解決してゆくという事です。此れが大事で、パラダイムシフトとも言いますね。パラダイムを変えるという事は平均的に頭がいい人間には出来ない事で、此れを大事にしなくては駄目です。
waoさんの考え方は、『頭のよさとは何か』という中野信子さんと和田秀樹さんの対談本に同じ視点で指摘されていました。2人が言っていたのは、東大に合格する「学力」は、頭の良さとは関係がなく、受験勉強の効率的な方法が身につけば、合格できる「学力」は身につくということでした。
本当の頭の良さは、自分の頭で考えることのできる人で、たえず新しいことに挑戦しようとする人、物事に対して根本的な問を立てて、執念をもって探究できる人。物事を素直に見ることのできる人、自分と違う意見を受け入れて、白か黒かではなくて、灰色もあるよねという柔軟な施行ができる人だということでした。和田さんは60歳を超えたので、肩書きはほとんど意味がないとも書いていました。肩書きが外れたことによって、より自由に動けるようになるとも書いていました。性格も頭の良さとつながっていることも指摘していました。
これはぼくの感想ですが、主観の強い人は、すごく損をしています。自分の気に入った情報にこだわり、気に入らない情報は排除するからです。ものごとをありのままに捉える努力が重要。自分の問題意識が崩れて置き換わることに快感を覚えることが、自分の主観を乗りこえる経験になると思っています。
これもぼくの感想ですが、哲学による思考方法を身につけることと、頭の良さは深くリンクしていそうです。
そうですね。
哲学による思考方法を身につける事はとても大事だと思います。俺も色んなジャンルを渉猟してきましたが、あるテーゼが打ち立てられるとそれのアンチテーゼが必ず発生します。此れはある意味いたちごっこの様に見えますがそれはそれで面白いのです。ただ、無駄なものを読んだな、というのはあります。例えば、吉本隆明の「共同幻想論」という主著があるのですが、時間の無駄だという気持ちが読書中に湧いてきたけれども此れも批判的に読めば、此れは此れで面白いなと思いました。成程、反共産主義論者は͡此の様な論陣を張るのか、と参考になりました。そして読後感は「共同幻想論」は無内容である、と断じたのです。金と時間を返せと言いたい所だが、反共主義者は頭が悪いのだ、という結論に至ったのは収穫でした。兎に角良書であるか、悪書(本当の意味で悪書は存在しない)であるか、読んでみない事には分からないので、読書初心者には
「兎に角読んでみる事だ。それで君の人生がこれまでとは違った風景をみる事になるよ」と、言いたい。そういう意味で哲学による思考方法を身につける事は大変大事になると思います。先ずは何故自分は存在し、その存在はどういう意味があるのか、その探求から始める事ですね。
1つだけ此れは読んどくといいよ、ちゅうのをあげれば、フランクルの「夜と霧」から始めるのがいいでしょう。生きる意味を極限から探求してみた本です。そこから葉脈を広げて哲学の基本に進んでいくのがいいと思います。
俺も『頭のよさとは何か』を読んでみたいと思います。
その次に読み始めているのが、アリストテレスの解説本で、『賢い人の秘密』という本だ。この本は、『頭のよさとは何か』の横にあった本です。哲学の思考方法の解説本で、帰納や演繹、類推、実態、意味、証拠などを解説することになっています。これは、哲学上のカテゴリー論の一部だと思います。
認識の仕方について、カテゴリー論を一つの物の中の相反する二つの側面とその統一というように弁証法的に学ぶことが大事だと思っています。この本を読めば何かを得られる予感があります。
科学的社会主義の哲学を学び、その学んだことをものの見方、考え方に生かせば、自分の頭をよりよく発展させることができると思います。なかなか面白いです。
アリストテレスですか。いいですね。
俺の蔵書の中にある筈だが、もう一遍読んでみるかな。『賢い人の秘密』というのは聞いた事がないので、此れも読んでみようと思います。
有難うございます。