行政は誤りを犯さない

雑感

国会がNHKで放映されるようになって、もうずいぶん長い歴史がある。国会議員を見ていると、醜態をさらけ出すことも多々ある。疑惑追及の前でたじろいだりしどろもどろになったり、強行採決時には前に詰め寄って、もめまくったりしていることも多かった。

それも含めて国会の生きた姿だろう。民度が低い姿をさらけ出しているとも言える。亡くなった安倍さんにしても、答弁の中で醜態をさらけ出したり、追いつめられたりしていた。今の岸田さんで言えば、統一教会に対する追及に対し、「関係を絶つ」と言うことを繰り返し語り、「自らの責任で説明責任を果たしていただく」ということを繰り返し表明して、壊れたテープレコーダーかと思うような感じだった。しかし、それでもまだ国会にはリアルな姿がにじみ出る。

ところが、地方自治体になると変なことに様子が変わってくる。映像配信になれていないのか、それとも自治体は誤りを犯さないことを示したいのか、よく分からないが、「綺麗にまとめたい」というような意識があるように感じてならない。こういう姿勢の根底にあるのは、自治体無謬論なのかも知れない。自治体は、いつの時代でも、いつの時期でも誤りを犯さないという「哲学」がある。

誤りを犯さない人間もなければ、組織もない。対応は、完璧だと思っていても、いつも絶えず不十分で、正解がどこにあるのかさえ分からないことの方が多い。これが正解だとそのときは思っていても、正解でないことも多い。振り返って率直に反省するという姿勢が、地方自治体には弱い。振り返りができない。振り返って物事を客観的に見て、教訓を導き出して語ってみせるということは極力苦手だ。

かつらぎ町でいえば、溝端町長時代、今から30数年前の当時は、小学校の建て替えを順番に行っていくという明確な方針を持っていた。この方針の根拠は、長期総合計画だった。7つの里構想と人口3万人構想というものがあって、溝端町長は、住宅開発や地域に応じた開発を行い、企業誘致も促進する姿勢を鮮明に打ち出して、北部地域については300万坪の開発構想を打ち出していた。この中で山間部の学校も含め、全ての学校は廃校にしないで建て替えるという方針だった。この方針にもとづいて、四邑小学校まで建築した。この次は渋田か三谷を改築する計画だった。当時は児童の減少や人口減少などは学校の建て替えとは関係がなかった。とにかく学校を建て替えないと地域の灯が消えるという認識の方が大きかった。

溝端町長の次の南町長は、大きく長期総合計画を変えるところまで行かずに、突然、渋田小学校と三谷小学校の統廃合を打ち出したが、これはさすがに地元の強い反発に直面し、両方の学校を建て替えるという計画を表明せざるを得ないところに追いつめられた。
この計画が大きく方針転換したのは、山本町長になってからだった。ただ方針を大きく転換する前に、町が取り組まなければならなかったのは市町村合併だった。この嵐が町づくりを真剣に追求できないようにした。降りかかる火の粉を払うのに行政も議員も必死だった。
平成の合併という嵐の中で、花園村をかつらぎ町が吸収合併したのは2005年だった。合併に夢中にさせられた中で合併した自治体を襲ったのは、ものすごい勢いでの人口減少だった。合併以後、毎年人口が300人ずつ減少するなか、かつらぎ町は2万人の人口が10年ほどで17000人台になった。この中で地域の衰退が誰の目にも見えるようになった。
合併という嵐が去った後、町づくりの問題で直面したのは、学校の統廃合だった。老朽化が著しくなった学校の改築が、中学校も含めクローズアップする中で、町が打ち出したのは、山間部の小学校の廃校と統廃合だった。縮小する財政と人口減少の中、長期総合計画は見直しを余儀なくされ、人口減少の中での町づくりへと軌道修正を行い、井本町長になってからは、明確に人口減少を目標に見据えるに至った。
山本町長から町政を引き継いだ井本町長は、学校の統廃合の最終段階で三谷小学校の廃止と天野小学校の廃止、新城と志賀小学校の廃止を仕上げるに至った。

この12月の一般質問で、ある議員が天野小学校の建て替え時の政策判断を問いただした。しかし、教育委員会は、学校の改築をめぐって行われた町自身の方針転換を、ほとんどまともに説明できなかった。歴史を概括して、明確に何が起こったのかを説明できない自治体というのは、かなり問題をもっている。
しかし、ここに横たわっている一つの問題は、公式な記録を紐といていくと、明確なアウトラインを示せないということだろう。過去の資料の保存状態も悪かったが、公式見解を追いかけても、真実が見えないところに本質がある。公式見解では真実が分からない傾向は、塩漬土地を大量に抱えていた土地開発公社問題のときにも現れた。

行政は誤りを犯さない。というか、誤りを犯しているのにそのことを認めない。これを繰り返えすと、歴史的な総括や反省ができない。その積み重ねは、日常活動の積み重ねによって起こる。そして、物事の本当の真実は、それに携わっていた人々の記憶の中にのみ留まるようになる。
しかし、「実は‥」から始まる証言は、人々の死によって消え去ってしまう。

同時に、人々の記憶はあいまいであり、不確かであり、多くの誤りを含む。証言は多くのデフォルメを抱えてしまう。一方、公式見解を読んでも、靴の上から足をかくような文言ばかりが並ぶ。こうなると、真実を踏まえて歴史を描くのは難しい。
議会の答弁を正確にきちんとしたいという思いは、どうも行政の無謬論とつながっていく。議員との答弁を調整すればするほど、行政は誤りを犯さないことにはまり込んでいくのではないだろうか。事前に質問と答弁についてのやり取りを重ねれば重ねるほどに、物事の真実から離れていくように感じるのは、ぼくだけだろうか。


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雑感

Posted by 東芝 弘明