質問の10分前に答弁書が届いた

雑感

一般質問が終了した。今回は、どのような質問になるのかを当局側に明らかにしした。質問の10分前に答弁書が届いて、読むと驚かされた。こっちの趣旨がきちんと伝わらないような答弁が並んでいた。

始まるまであと10分。質問のテーマは、質問の趣旨をリアルに伝えること、誤解しているような答弁はやり取りの中で正していきたいということだった。きとんと当局側と打ち合わせをし、高齢者サロンのことについては、こちらの趣旨を伝えたつもりだったが、答弁書は趣旨に真正面から答えてもらえるものにはなっていなかった。これではすっきりした質問にはならない。

高齢者サロンについては、来年度から見直しをしようとしており、担当課は、かなり実際は事務作業を進めていた。今は12月なのでこういう努力は事務を進める側でいえば、当然のことだった。しかし、ぼくには、来年度から進めようとしている改善は、改善だとは思えなかった。それで、担当課が用意している改善方向ではなく、高齢者サロンがさらに開催しやすくなる方向へと改善すべきだという提案を準備した。

地方自治体という仕組みは、働いている職員にとっては、いわば過酷なものでもある。行政内で審議を進め、方針を決めて動く。もちろんその時点では町長の了解も得ている。
しかし、議会という仕組みの中で、町のさまざまな方針は、住民の代表である議員によって、不十分さや改善方向が指摘され、そのことによって方針に大きな修正が加わることがある。
今回のぼくの質問は、高齢者サロンの部分でいえば28分程度だった。この28分のやり取りの中で、職員が積み重ねてきた方針を変えていただくということを要求するものだった。議会というのは、行政に対して、ときにはこういうことを求めるものになる。住民の代表である議員の位置がいかに大きいかということでもある。

質問では、ぼくが提案している趣旨をどう伝えるかに神経を集中した。伝わり切れていない質問の趣旨をどうやってリアルに、キャッチボールしながら組み立て、伝えるか。これは、自分にとっても未体験のものだった。

こうなると、質問の組み立ては原稿とは違ってくる。何を明確にすれば、いいたいことが当局に伝わるか。自分の認識の中で、強調点が移ることになる。その結果、高齢者サロンについては、予定されていた答弁とは違う形で終わり、ぼくが求めていた方向に向かうこととなった。未体験だったことが、ほぼ実現したので、なんだか手応えを感じ、嬉しいという気持ちになった。同時に、集団で準備してきた担当課には、その努力の重さを感じるものになり、申し訳ないなという気持ちにもなった。

ただ、用意していた質問で、展開できないものが残った。かつらぎ町の高齢者サロンも10年以上の歴史があり、住民の中にある担い手にも蓄積があるものになっている。居場所づくり、お茶の間、井戸端会議となるような、行事がなくても開くことにできる高齢者サロンに転換するためには、運営している人々との会議が必要になる。その中で転換を図るような努力をしないと、転換は実現しない。このことを質問に中で提起して、努力を求めることを用意していたが、この部分を展開することができなかった。この点は悔やまれた。

ぼくにとっては、一般質問は一問一答がいい。やはり議会の質問は生き物。質問席に立たないと結果は明らかにならない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明