商品の中にある矛盾
最近疲れてブログの書き方が、ものすごく手抜きになってしまった。
この間、日本のモノづくりがかなり揺らいできて、大企業の破たん状態が目の前でかなりの規模で展開されている。ぼくと同じ漢字の東芝は、ついにPCとテレビから撤退することを検討し始めた。PCからの撤退はいいとして(──ごめんなさい。使っている人にとってみれば、困るだろうなあ)、テレビからの撤退は、非常に惜しい。レグザはいいテレビだと思っている。技術水準も高く、テレビはレグザでなければ、という人も多いだろう。
原発という現代の科学水準では完全には扱えない原子力というものに手を出して、ドツボにはまった東芝は、会社の危機に瀕している。その結果、家電部門でかなりいい商品開発を行っていたテレビとPC部門でも比較的評価の高かった(と思われる)パソコンから撤退するとなると、ものすごく魅力が半減することになる。
大企業のモノづくりにかなり大きな打撃が発生している根底には、商品生産の中にある矛盾を感じると以前に書いたことがある。商品の2つの側面である使用価値と価値(交換価値)。使用価値は、商品の具体的な使い方に関する価値だが、交換価値の方は、商品が貨幣に転化するときに初めて実現する。よりよい役に立つ商品を作るというところにモノづくりの良心がある。しかし、同時に貨幣に交換することによって実現する交換価値というものが、商品生産に絶えず影を落とす。商品は貨幣に交換(転化)されなければその価値を実現できない。ここにはたえず「命がけの飛躍」という問題が存在する。
法律で定められた検査を手抜きしたり(日産やスバル)、原料を安く上げるために他の材料を混ぜ込んで強度を落としたり、またそれを誤魔化したり(神戸製鋼)、嘘偽りのデータで商品をよく見せて販売したり(こういう商品はわんさか出回っている)、こんなことがものすごく頻繁に発生している。よりよいものを生産する努力とともに、これに相反するような傾向が商品にまとわりつくのは、まさに使用価値と価値との間に矛盾があるからだ。良い商品を作っても売れなければ、その商品は再生産を続けることはできない。良い商品=販売で成功するということが、必ずしも成立しないのが商品販売には横たわっている。同じような商品によって、企業間で競争が行われている場合、他の企業の商品よりも安い販売価格をつけることができれば、他の企業よりも商品が売れるということもある。この問題も交換価値に関わる問題である。農産物にワックスをかけて艶よくしたりするのも、規格外の農産物を選果場で弾くのも交換価値に関わっている。
商品という1つのものの中に相反する傾向をもった2つの側面が同時に存在しているところに、商品そのものがもつ矛盾がある。日本のモノづくりは、まさにこの商品生産そのものにある矛盾の中で喘いでいるといっていいだろう。
商品の中にある2つの傾向とその中にある矛盾を見抜いたのはマルクスだった。資本主義の根本的な矛盾を見極めるためにマルクスは、商品の分析から記述を始めた。それが『資本論』だった。資本論は、商品の歴史的な生成過程を分析し、商品の歴史とともに貨幣の成立過程をも明らかにし、貨幣もかつては商品だったことを明らかにし、使用価値には具体的有用労働が対応し、価値には抽象的人間労働が対応していることを指摘し、なぜ労働力が商品として資本家に販売されるのかも明らかにして、資本主義的生産における搾取の仕組みも明らかにしている。
資本主義は、マルクスが解明した資本主義の法則から逃れられないのは、マルクスが資本主義社会がどのような法則によって動いているのかという本質を明らかにしたからに他ならない。















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