住民合意と協働のまちづくり

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午前中は総務文教常任委員会。そこでのやり取りを書いてみたい。
企画公室長が委員会に出席した。企画公室は、まちづくりの視点でかつらぎ町の事業を進めていくセクションにある。このことを重視してつぎのようなやり取りをおこなった。
ぼくは、過日おこなわれた「まちづくりシンポジウム」の藤目教授の基調講演の内容を確認しつつ、「かつらぎ町のまちづくりのあり方が問われている。学校の統廃合の問題で集落単位のまちづくりをおこなうという『藤目式』のまちづくりをおこなうのか、それとも行政が方針を決めて、住民の意見は聞くが、方針は変更しないというような態度を取るのかが問われているのではないか」と迫った。
企画公室長は、はたして合意が形成できるかどうか、自信がなさそうな感じだった。
統廃合の課題は、地域にとってはかなり深刻な課題だと思う。かつらぎ町が今日まで維持してきた山間部の学校がなくなるという話は、地域に大きな不安を生み出してしまう。
学校が地域のシンボルであり、唯一の公共機関の施設である場合が多い。小学校が無くなると若い人がいなくなり、より一層の過疎化が進むのではないかという不安に自治体は向き合わなければならない。
学校が廃校になる場合、後に残された施設をどのように活用するのか、この点でも柔軟でユニークな取り組みが問われている。
この課題で住民の合意を形成できるのかどうか。ぼくは合意形成は可能だと考える。話しあいをして、合意が形成できないまま、自治体の方針を押しつけていくという方向を選択すると、かつらぎ町のまちづくりは壊れてしまうと感じる。
議論がどのような形で進んでいくのかはなかなか予想しがたい。しかし、町行政に横たわっている問題点に対する認識が深まり、課題に対する共通認識が深まれば、おのずから選択肢が決まってくる。
学校の統廃合については、圧倒的多数の方々は、統廃合大賛成ということにはならないだろう。合意形成といっても「しかたないな、やむをえないな」という観点からの合意となる。しかし、こういう状況でも合意形成が決定的に重要な意味をもつのではなかろうか。
行政が説明にいくときに、合意形成は可能だという確信をもって説明会に臨むことが極めて重要だろう。
住民合意がなければ、住民との協働には進めないと思う。
住民合意と協働、これは、自治体にとっては未知の領域ではなかろうか。
かつらぎ町は、学校の統廃合について、昨年、適正配置の検討委員会を組織し、9か月かけて答申をまとめた。基本的に会議は公開され、保護者に対するアンケートも実施された。また、住民のなかから公募を募り公聴会も実施された。この委員会が打ち出した答申は、3案併記というものだった。
3案併記という答申は、住民の意向をふまえたものだった。
住民の多数は、「すべての学校を残してほしい」という意向だった。公聴会の発言もこの方向だった。検討委員会は、この意向を尊重してすべての学校を残すという案を第1案として打ち出した。これと同時に、統廃合はやむをえないという観点から、第2案で統廃合を打ち出し、2−1案として、旧かつらぎ町内の学校を2校に、旧花園村小中を一貫校にするとし、2−2案として、旧かつらぎ町では、複式校の解消による統廃合で小学校4校、中学校2校に、旧花園村を小中一貫校にするとした。
教育委員会と町長部局は、この答申を受けて2−2案を支持する態度を取った。
この方向にもとづいて住民説明会がおこなわれる。
かつらぎ町の歴史にとって、小学校の統廃合は、未知の領域の話である。これからのまちづくりをどうするのかという課題としてとらえるならば、この統廃合についての議論は、今後のまちづくりの方向を決める極めて重要な議論になる。
パラドックスのように聞こえるかも知れないが、この統廃合問題は、まちづくりの契機としての統廃合、住民と行政との協働の契機としての統廃合、住民自治の発展の契機としての統廃合という性格の課題だと思う。この課題で住民合意を形成できなければ、今後のまちづくりもうまくいかなくなる。
100%悪いというものも少ないが、100%良いというものも少ない。マイナスの課題である統廃合問題を通じて、どのようなプラス面を作り上げていくのか。住民合意と協働がこのプラスアルファを生み出す力になる。


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Posted by 東芝 弘明