学ぶということ

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想像力の豊かな人間になりたい。
そう思う。
そのためには、本を読む必要があると思う。
自分の認識の外にある意外なものの見方や考え方、知識、分析、科学的な知見、小説による人間のリアルな姿、等々そういうものに触れると自分の中にあるネットワークが動き出す。
「一を聞いて十を知る」ということはなかなかできそうにもないが、一を聞いて、発想が広がり、新たなものの見方が広がり深まることは多い。一を聞いて十数個の事柄が浮かんでくるということは、数多く存在する。
本を読み学習を積み重ねるというのは、単に知識を増やすのではない。そんな学習は全く生きた知識・知恵にはならない。
本を読むことによって、新しい問題意識、新しい発想を自分の中に芽生えさせることの方が大事だと思っている。
もちろん、知識は大事だ。しかし、知識以上に自分の問題意識が多方面に広がり、今まで漠然としかとらえられていなかった事柄が、新たな連関をもって再構築されることの方が大事だと感じている。つまり、新しい知識が新たなネットワークの中に組み込まれて、あらたな問題意識が入り組んでクモの巣のように構築されることの方が大事だということだ。
神経細胞は、シナプスという突起状の細胞をもっており、文字通りネットワーク状につながっている(シナプスとシナプスの間には隙間があり、神経伝達物質が先端から放出されそれによって情報が伝達されている。情報伝達は、イオン物質による電位差を利用して行われている。電気信号というのは、この電位差によって起こるものだ)。
人間の認識も神経細胞のネットワークのようにネットワークを形成する。物事は、人間の意識の外で、連関、連鎖を形成しているが、この外界の反映として人間の認識もネットワークを形成する。
学校の宿題を見ていると、どうも知識をばらばらにとらえて覚えるようなものが多いのではないかと思ってしまう。
文字を学ぶときに、連関と連鎖の中に漢字の熟語を置いて学んでいけば楽しいし、意味も立体的に分かるし、活用の仕方も理解できる。
「一を知れば、十につながる」
学校の学びをこういう関係の中に置き直せば、子どもたちの目はいっそうきらきらと輝くのではないだろうか。
人間は、物事を理解するために、似通ったものを集め(連関の中でとらえるということでもある)ることによって分類をおこなってきた。この作業は、分類を通じた総合と分析にほかならなかった。分類をすることによって、相似と差異をより一層豊かに把握できるようになった。
しかし、この分類は、連関と連鎖のなかにあった事物を連関と連鎖から切り離すという問題を生み出してしまった。したがって、次ぎに必要なのは、分類したものをもう一度連関と連鎖の中に置き直して、全体的な視点のもとで把握し直すことだ。
現在の知識の多くは、現在進行形だとはいえ分類の作業を終えたものが多い。
子どもたちに発見させるべきなのは、相似と差異とともに連関と連鎖なのだと思う。
学校の授業が、こういう生き生きしたものに変わっていけば、子どもに学ぶ喜びが伝わっていくのではないだろうか。
人間は、常識だとされていた問題に対し、問いを立てて比較検討し、差異を拠り所にして真実を発見してきた。常識とされているものの見方に問いを立てるという視点を子どもの中につちかいながら、先生と生徒が現象の中に隠れている物事の本質(=法則)を発見していけば、面白い学習ができるようにも思う。
ぼくなどは、「空はなぜ青いのか」とか、「海はなぜ青いのか」、「湖や池などが緑色に見えることもあるが、それはなぜか」などにきちんと答えられない。
「お父さん、肝炎って何?」
昨日娘に聞かれて、「向かって胃の左側にあってね、人間の臓器で一番大きいんだけど」と語ったところで、はたと困ってしまった。それ以上、肝臓の説明ができなかった。
知っていると思っていても、きちんと考えると説明できないことも多い。
こういうことをあいまいにしないで、問題意識を育てることが教育にとって一番大切なことなのかも知れない。好奇心を大切に育てて、発見する喜びを力に学ぶ楽しさと喜びを学校の中で味わえるようになれば、授業に生き生きした命が宿る。
そう思う。
「これからの学校は劇場のようでなければならない」
NHKのテレビ小説の「はっさい先生」(1988年秋から1989年春まで。主演若村麻由美)の最終回に中村嘉葎雄さんが語った言葉だと記憶している。
今の学校は、こういうところから大きく離れてしまったのかも知れないが、劇場のように楽しく生き生きした学校を再生することが、21世紀に求められているのではないだろうか。
人間として成長することの喜びは大きい。
この単純な真理が、学校の中に再生する時代をつくらないと子どもたちの未来は、狭く閉ざされた窓のままのような気がする。
360度開かれた大自然の中の雄大な眺望。
学ぶイメージにこういう景色が重なるような時代が始まることを自分の中の希望としたい。


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Posted by 東芝 弘明