人間は矛盾した存在

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人間、良いところもあれば悪いところもある。矛盾した存在が人間なのだと思う。
正しい生き方というものを自分に求めても、100%清く正しくというような生き方はできない。
自分の醜さ、自分の良さ、自分の汚さ、自分の清らかさ、そういうものが入り交じっているのが人間なのだと思う。
池波正太郎さんが、仕掛け人藤枝梅安という人物を描くときに、「人間は良いことをしながら悪いことをする」という考え方だったという評論を読んだことがある。藤枝梅安は、針医者として人の命を助けながら、その針で仕掛け人として人をあやめる。ここに人間としての本質をみていた。だからこそ、藤枝梅安は魅力的な主人公になった。
聖人君子などという人間は存在しない。ぼくにもこすいところがある。自己顕示欲もある。負けず嫌いなところもあれば、変なプライドもある。しかし、同時に純粋な部分もあり、ひたむきに人のために尽くしたいという思いもある。小さいことにこだわる。せこい。
人間がもつ良い面と悪い面は、一つのものの中の2つの側面のように入り交じりながら存在している。それがさまざなな出来事の中でどのような形であらわれるか、たえず人間のあり方が試されている。
矛盾した存在そのものが人間だが、矛盾した傾向がある中で、どのような態度を取るのか、その都度、そこには葛藤がある。自然体でありながら、葛藤もあるけれどより良い選択をおこなえる人間になりたいと思うが、その保障はない。しかし、人間が人間に信頼されたいと思うのであれば、人の良いところを見抜いて、その人を信頼し、誠実に接するということが大事なのだと思う。
その際、最も大切なのは、自分以外の人間を魅力ある人々だと思い、好きになることだろう。
その人が好きだという感情がない場合、相手も自分のことをよいとは思わないだろう。親しみと信頼をもって相手に接して始めて、相手も好意を持って接してくれることになる。
ここで言う好きという感情は、恋愛感情のことではない。相手を魅力ある人間として好意を抱くかどうかということだ。
自分の周りにいる人々の魅力を感じとり、好意を抱けるように自分の視野が開けること。これが人を信頼する上で最も大切な感情なのだと思う。
そういう人に私はなりたい。
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Posted by 東芝 弘明