「蟹工船」を再び買って

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土曜日、朝9時30分から和歌山県教職員組合伊都支部の定期大会があり、ぼくは、日本共産党紀北地区委員会の副委員長として来賓あいさつをおこなうために出席させていただいた。
5分のあいさつを終えた後、橋本市岸上の本屋さん「ツモリ」に車を走らせた。
今はやりの小林多喜二の「蟹工船」を買うことが目的だった。
まず、文庫版のコーナーに「蟹工船」が平積みされているかどうか確かめた。平積みのコーナーには、「西の魔女が死んだ」という本と、手嶌葵さんの主題歌「虹」が流れていた。この人の声は、心にすっとしみてくる。小さなテレビの画面で映画の予告編がくり返し映っている。画面が小さいので、小さなコーナーでそっと小さく語っているような印象だった。
小林多喜二は、平積みの本の中にはいなかった。
本棚を見ると文庫本達は、作家名でそろえられて並んでいた。カ行の作家を順に見ていく。小林多喜二の本が数冊ある中で「蟹工船」が1冊だけ並べられていた。
1冊だけ。
「ぼくが買ったらおしまいかよ」
そう言いそうになった。
平積みにして、飛ぶように売れているという話を聞いていたので、思いっきり肩すかしを食った感じがした。何だか残念だ。無念でさえある。
平積みの山の中から「蟹工船」を買って帰ろうというもくろみがはずれたので、欲求不満の穴を埋めるために他の本を物色した。
本の背表紙を眺めるのは面白い。知らない世界への扉は、本の背表紙に書かれている。本の林の中をあっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、買いたい本を手に抱えていく。手にもつ本が増えると宝の山を掘り当てた感じになるが、増えすぎると財布が軽くなるので、この本はやめよう。今日はいいやという綱引きが心の中で始まる。この日は、4冊にするのか3冊にするのか、さんざん迷ったあげく3冊で折り合いをつけ、レジに歩いて行った。その頃になると「蟹工船」ショックは、意識の底に引っ込んでいた。
お金を財布から出そうとしたその時に、赤と黒の印象的な表紙が目に飛び込んできた。新潮文庫の「蟹工船」だった。レジカウンターの前の細い棚に「蟹工船」の文庫本が5冊ほど積まれていたのだ。
ツモリでも「蟹工船」は、ローソクのほのかな光が揺れるように、小さなブームになっていた。
それでこそ「ツモリ」だ。スタンプカードを押してもらいながら、また来るつもりになっていた。
小林多喜二が、戦旗という雑誌に2か月にわたってこの作品を発表したのは1929年だった。発表から丸79年経っている。
1929年の発表当時の販売数は、半年間で35000部程度だったらしい。今回は、半年間で10万部以上の売れ行きだという。作品が世に出てから最大のブームがやってきている。もちろん、小林多喜二は、このことを知るよしもない。虐殺でなく、仮に天寿を全うしていたとしても、今回の事態はやはり、知るよしもないだろう。ワーキングプアのような状態や派遣労働、日雇い派遣などの実態が、小林多喜二の「蟹工船」と結びつき、作品が読まれている。
歴史は繰り返すということなのかも知れない。
18歳の時に読んだ「蟹工船」は、なんと暗い小説なんだろうという感想だった。むしろ印象に強く残ったのは、この作品と同に収録されている「党生活者」の方だった。
今日から「蟹工船」を読み始めた。リアルな描写から作品世界は始まる。エッ、こんな描写があったかなと思うほど、具体的でリアルな描写が目を引く。
この作品は読まなかったのかというと、「読んだ」という記憶だけが残っている。読んだのは30年前。「読まねばならない」という義務感のような思いで読んだ1冊だった。さまざまな作品を読むことが学習だという気持ちがあり、ぼくにとって、小説は、社会科学とともに学習の大きな柱だったのだ。
ツモリでは、この本とともに山口翼著「志賀直哉はなぜ名文か」、茂木健一郎著「『脳』整理法」という2冊の新書本を買ってきた。
志賀直哉の文章には、以前から心引かれてきた。「城之崎にて」のラストシーンの記憶は今も鮮明だ。この本は楽しみを広げてくれそうだ。
茂木健一郎さんの本は初めて買う。脳科学者で売れっ子のこの人。テレビで見ると何だか妙な違和感があった。しかし、違和感を拭って作品を読んでみようと思い直した。
本の背表紙を眺めていると、ぼくの知らない世界の話が無数にあることをあらためて発見する。さまざまな本の中には、自分の認識を180度ひっくり返すようなものがたくさんある。中には偽物もある。偽物は、センセーショナルだったりする。トリコになって信じても、そういう本は1年ももたない感じだ。偽物によってひっくり返された認識は、本物によってもう一度180度ひっくり返される。
「ゲーム脳の恐怖」という本は、ぼくの認識をひっくり返してくれた本だったが、この本は、その後、多くの人の反批判によってひっくり返されてしまった。「脳内革命」──これは誰ももう振り向かない。
だまされながらも、認識は深まっていく。経済学の本などは、人をだますものも多い。理由は簡単。経済学ほど利害関係に左右されている学問はないからだ。竹中平蔵さんは、利害関係に絡め取られた第一人者かも知れない。こういう本を読む場合は、この人私腹を肥やしている?などの点を透視できる眼力が必要だろう。ただし、この眼力はなかなか身につかない。難しい。ああでもない、こうでもないと大いに悩むのがいいのではなかろうか。
本の世界を知らない人は、人生のなかで、自己の認識に革命をもたらしてくれる機会を失ってしまう。あえてそう言いきりたい。
たこ焼きを焼くように認識はたえずひっくり返されなければならない。たこ焼きは、まんべんなく焼くことによって、真ん中までおいしくなる。人間の認識は、何度もひっくり返されることによって、中身が豊かになる。
新しい認識と出会うことによって、新鮮な変化が脳の中に起こる。こうすることによって初めて、脳の中の海馬の神経細胞は、分裂し自己増殖する。東大の準教授の研究は、このことを強く主張している。ぼくはそれを信じている。脳は使われることによって豊かになる。
海馬のためにも本を読もう。
自分の認識をひっくり返そう。なんども、なんども。
蟹工船・党生活者 (新潮文庫)/小林 多喜二

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志賀直哉はなぜ名文か―あじわいたい美しい日本語 (祥伝社新書)/山口 翼

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「脳」整理法 (ちくま新書)/茂木 健一郎

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Posted by 東芝 弘明