高校の定数、陳情に行く

出来事,教育

笠田中学校の北側の奥に車を止めた。
「図書室にお上がりください」
教頭先生が、来た人に案内していた。
今日は、和歌山県庁に行って、教育長に会い、高校進学の定数問題で陳情を行うことになっている。参加するのは、伊都地方の各中学校の校長とPTA会長だ。
スリッパを履いて2階に上がる。2階の図書室の反対側には、ぼくたちが学んでいた2年E組の教室がある(いつの話=39年前か)。教室の窓からは音楽室が見える。
図書室に入ると、すでに先客の方がいた。
テーブルに座る前に図書館(学校図書室というものは本当は存在しない。学校にあるのは図書館)の本を見て回った。中学生用の本がいくつも並べられていた。
古い本は処分されていて、比較的新しい本が並んでいるが、棚はすかすかだった。
「本が少ないなあ」
それは少し驚きだった。教育委員会は、この本の少なさにショックを受けないのだろうか(受けないのだろうなあ。受けてたら恥ずかしくなって改善するはずだ)。

石垣りんさんの詩集や茨木のり子さんの詩集があった。
「娘も図書館で本を借りたらいいのに」
こんな思いも浮かんできた。
出されたお茶を飲み始めると、人がたくさん入ってきた。

「おはようございます」
出発する前に事務局の学校のF先生が、司会をつとめ打ち合わせが行われた。
事務局になっている学校の校長先生から若干の報告が行われた。

来年、1つの大きな変化がある。伊都高校が、来年の普通科募集を行った以降、募集を停止し、平成27年からは通信制、単位制の学校に移行するということだ。
笠田高校、伊都高校、橋本高校という3つある普通科の高校のうち、伊都高校が平成27年度からはなくなってしまう。
新聞発表が行われたので、すでに来年の伊都高校の普通科の生徒募集に大きな翳りが生まれている。
伊都高校の来年の1年生には、2年生、3年生が上級生として存在するが、募集停止するので、来年入った生徒が最後の普通科の生徒となる。なくなる学校に人気が出るはずがない。

今回の陳情は、昨年と同様の定数を維持してほしいという内容だが、報告は、伊校問題をどう扱うのかというものだった。
「この問題は、別の機会を設けて対応したい」
これが、伊都地方の校長会の結論だった。

車数台に乗り合わせて和歌山に向かった。
いい天気だった。空気が澄んでいて、車の窓から見える景色は美しかった。

「11時に県議会が再開されます」
県庁の北別館にある議会棟の入口のロビー横の待合室でしばらく待機することになった。
県議会議員の門さんが挨拶に見えられた。今日の陳情の窓口に門さんがなってくれていた。感謝したい。

11時から県議会を傍聴した。傍聴席は、議場の一番後ろの壁の上にある。一番前に座って下を眺めると県議会議員の頭が見える。11時直前に議員が入ってきた。共産党の議員は、一番左端に2列に並んでいた。門議員は右の一番奥に座っていた。
議長が再開を宣言する。
仁坂知事の提案説明が始まった。
県議会も市議会も議会の初日は、非常に簡単に終わる。提案説明は、所信表明の演説と議案の概要というものだ。詳しい議案の説明は委員会で行われる。
提案説明は20分程度で終了した。

陳情は、11時30分から行われた。
同席していただいた議員は、門三佐博、向井嘉久藏、平木哲朗、岩田弘彦の4人の方々。対応したのは、西下博通教育長以下教育委員会の方々だった。
伊都PTA会長が、陳情書を朗読して手渡し、質疑応答となった。
県議会議員の方々は、伊都高校のことにも触れて発言した。

来年、受験生は、昨年と比べて50人程度減少している。しかし、那賀郡の生徒数が昨年より30人程度増えている。全県一区という学区制になっているので、生徒がどのような動き方をするのか、昔以上に把握が難しくなっている。
教育委員会は、現在検討中だといい、主旨は十分分かりましたという対応だった。
質疑応答では、妙寺中学校の校長先生と橋本中学校のPTAの方が発言した。
陳情は30分で終了した。

話を聞きながら以下のようなことを考えた。
学区制を撤廃して以降、学校間格差は歴然と現れるようになり、学校は、子どもの成績によって並ぶような形になっている。競争を組織すれば、成績によって生徒が分けられていき、学校の雰囲気もそれに応じて変わってくるのはいかんともしがたい。
和歌山県の場合、この全県一区制とあわせて、中高一貫校をいくつか作ったので、小学校の時代から中学校受験が発生し、さらに、中高一貫に進学した子どもたちは、その高校に自動的に進学するので、高校受験に狭き門が設定されるようになった。高校におけるこの2つの改革が、生徒たちに多大な影響を与えている。この競争の中で、伊都高校が廃校されるようになったということだ。

このような教育の仕組みを、根本的に見直すようにしないと、生徒数の激減が高校受験の緩和にならず、場合によっては、生徒の減少と競争の激化が同時に組織されかねない。
昨年は、笠田高校にも定員割れ状況が生まれた。1次募集で定員割れになったのは、不合格を恐れた結果でもあった。2次募集をかけたが、高校受験に失敗した子どもたちは、どうしても受験に失敗したくない傾向が強まるらしい。2次募集の中でも定員割れは埋まらなかった。

競争が学力の向上につながるのだろうか。多くの生徒は競争の参加する前に、すでにしんどくなっているのではないだろうか。
学力の低下傾向は、競争の不足によって生じているのではなくて、もっと深いところで起こっている問題ではないだろうか。中学校に横たわっている学力不足の傾向は、楽しく学べるはずの小学校時代からのつまずきに原因があるように見える。
小学校の先生が、がんばっていないわけではない。
人間として学習の積み重ねがうまくいっていない要因は、先生個人個人の資質に解消できないものになっている。そう思えてならない。直接的な体験の決定的な不足が、学習の積み重ねをかなり深いところで困難にしているのではないか。というようなことだ。つまり、基礎基本の徹底、応用力の不足というようなレベルではなく、人間としての生活のありよう、認識の発展と知識の蓄積の仕方というような、根本的なことが問われはじめていて、今の日本の教育が、この問題にかみ合っていないという様な気さえしている。

優秀な生徒、自発的な意識を強く持ち問題意識をもって生活している子どもたちは存在する。しかし、こういう生徒をごく一部しか生み出さない日本の教育のあり方には、奥深い問題がある。学力の高い学校で、豊かな実り多い教育ができているからといって、日本の教育を評価するのは大きな誤りではないか、とさえ思いはじめている。


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出来事,教育

Posted by 東芝 弘明