「ソーシャルワーカーという仕事」を読んで
ある人のFacebookでの文章に触発されたので書いてみました。
貧困が広がっています。
経済的貧困は、お金の問題だけでなく、住環境、教育環境、文化、スポーツ、人間関係などに複雑に絡まっており、虐待、DV、アルコール依存なども絡みついてるケースもあります。これらの状況が、子どもに深刻な影響を与えます。子どもに学力がほとんど身につかなくなると、貧困から抜け出すのは極めて難しくなります。働けるようになっても職業選択が困難です。
生まれてすぐに親が育児を放棄し施設で育った子どもや、兄弟の中でその子だけ母親に見捨てられ、施設に入れられた子どももいます。その子の気持ちにより添うことが大事なのに、まわりにそのこのことを深く理解する大人が、まだまだ極端に少ない状況です。
学力問題では、自分の名前をひらがなでしか書けない中学生もいます。そうなると、自分の考えがまとまらない傾向が出てきます。同級生の中学教師は、いつもぼーっとした感じの子どもになるといい、問いかけても答えが返ってこないといいます。
人間の幸福とは何かを考えると、物質的な豊かさとともに精神的な豊かさが重要であることに気がつきます。幸福だと思う瞬間が人生にはたくさんありますが、その瞬間を豊かにするのは、人間関係や出来事などから幸福を「感じ取る力」にあると思います。豊かに感じ取る力は、学習と深く結びついています。
人間は、自分の認識の範囲で物事を考えます。自分にとって見えない世界に考えをおよぼすのは困難で、狭い思考回路の中で堂堂巡りに陥るケースもあります。複雑な問題には、匙を投げる傾向、「自分はばかだから」と自分の可能性を見いだせない傾向が積み重なっていくと、精気がなくなってきます。生きる力が萎えていくと深刻です。
一昔前、貧困から抜け出すために、大人に対して識字学校を開いたり、子どもの学習を援助したりすることが、貧困から抜け出す上で重要でした。今また、子どもへの学習の保障が昔と同じように重要になりつつあり、各地で無料の塾が開催されつつあります。
生きるためには、生きる意欲とともに生きる技術が必要だとソーシャルワーカーの宮本節子さんが「ソーシャルワーカーという仕事」に書いていました。「生きる意欲」と「生きる技術」この2つの視点で苦しんでいる人を把握し、支援することがすごく大切です。
子どもたちの基本的人権と人間の尊厳を守るために、子どもに寄り添って、一緒に歩く、生きることを楽しめる体験が重要になっています。すべての人はかけがえのない存在であり、基本的人権と人間の尊厳は、どんな状況になっても保障されるべきものだという考え方、ここに依拠して支援し、その人が持っている生きる力を強めること、つまりエンパワーメントを高めることが大事です。時間のかかる支援が求められています。
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ご無沙汰しています。
すっかり年賀状だけのお付き合いとなりましたが、最近タブレットを購入。
これで次男に占領されていたパソコンの代わりになりそうです。
私もやくざなSWのはしくれとして、龍神の職場で日々、貧困や病気、障害、教育、家族の問題などに触れております。
DV、アルコールの問題などは常識や社会通念から離れて、パラドキシカルな見方に変えればアプローチしやすいと感じます。
また、読んだ本など教えてください。
あまりの本オタクの為に、その話題では人と話があわずにいます。とほほ....
お久しぶりです。会いたいなと思う人からコメントが来ましたね。結局、田辺に行ってからまったく会ってませんね。しのざきさんもソーシャルワーカーになっているんですね。
ソーシャルワーカーの方々には、頭が下がる思いをしています。今日の一般質問では、ソーシャルワーカーの役割を訴えて、福祉課への配置を熱っぽく訴えました。
橋本市は、地域包括支援センターに2人社会福祉士がいて、これをさらに3人にしようとしています。自治体には、ネットワークが必要ですが、社会福祉士の人々は、縦割りの壁を乗り越えて、しなやかにネットワークを生み出しています。
学校にもカウンセラーではなくて、学校ソーシャルワーカーが必要だと思っています。