安全な国、日本

雑感

笠田中学校から依頼された原稿を仕上げるのに、娘に意見をもらい、妻に意見をもらった。結局は、3人で原稿を仕上げるということになった。3人で作ったらいい文章になった。
午後、和歌山市内で会議があったので参加した。夕方、ジョイフルを会議場所にしてスキーの会議があったので参加した。

閑話休題。
日本に来ている外国人にアンケートをとると、日本ほど安全な国はないという話がトップになる。日本の治安のよさは、戦後、現憲法ができて、国民主権が実現したからだ。警察や軍隊は、国民の安全や安心を守るという側面とともに、国家権力を維持する組織として、国民を監視し、支配するという側面を持っている。国民を監視できる仕組みをつくり、警察や軍隊にその任務を与えると、治安がよくなるのではなく、治安や国防の名で国民を支配する力が強まる。
戦前の日本は、自由にものを言うことができず、たえず特高警察や憲兵の監視があった。治安維持、国防保安。こういう関係の法律は、真っ先に国民の監視のために活用された。

ぼくの知人だった人は、軍需工場からの帰り大阪のとある駅で本を読んでいると、特高警察に話しかけられた。お前の読んでいる本は、いったいどこで手に入れたのか。これが、特高警察の詰問だった。
結局、知人は警察に引っ張られ、一週間留置場に入れられて取り調べを受けた。持っていた本は、発行が禁止された本ではなかった。一週間後、釈放されて自宅に帰ると、姉が泣いてしがみついてきた。朝、警察が来て家宅捜査をし、家をものすごく荒らして帰っていったのだという。
これが、日本の一つの現実だった。

言論の自由のない国が、どんな国なのか、知らない人が多いのではないだろうか。戦前の日本には、検閲があった。
書籍の検閲は次のようなものだった。
「著作物は、出版法による文書、図書を発行した時は発行3日前に内務省に製本2部を納本する必要があり、書簡、通信、社則、引札、番付、写真等は内容が取締法規に触れないものに限り届出が省略された。検閲にあたって当局は、内容が皇室の尊厳を冒涜し、政体を変改しその他公安風俗を害するものは発売頒布を禁止し、鋳型および紙型、著作物を差し押さえ、または没収し得た(明治26年4月法律15号、明治43年4月法律55号、昭和9年7月内務省令17号)」

検閲に真正面から立ち向かった作家の一人が小林多喜二だった。小林は、あの時代に警察の弾圧を真正面から描いた。『蟹工船』『一九二八年三月一五日』などは、特高警察の怒りを呼び起こした。『一九二八年三月一五日』は、警察による日本共産党や支持者の弾圧と拷問を生々しく描いた作品だった。警察の実態を暴露した小林は、特高警察から徹底的に狙われた。逮捕から7時間半後、拷問の末に殺害されて警察から運び出された。警察は、小林は心臓麻痺によって死亡したと発表した。小林の太ももは、2倍以上に張れ上がり、どす黒く変色していた。陰茎も同じく腫れ上がり、きき指は複雑骨折していた。特高警察は、小林を逮捕したら拷問にかけ殺害する意志を最初からもって、それを実行した。遺体を引き取った人々は小林の司法解剖を求めたが、病院は弾圧を怖れ、これを拒んだ。1933年2月20日のことだった。
友人だった手塚英孝(作家)に小林は、こう語ったことがある。
「誰か、体全体で書くやつはいないか、死ぬ気で書くやつはいないか」
小林多喜二は、自分で語ったとおり、あの時代の暗部を描いた希有な作家となった。多くの人が、権力の弾圧を怖れ、筆を折り、もしくは戦争を賛美する文章を書いたときに、小林は、節を曲げることなく時代を描いた。

特定秘密保護法の先には、戦前の日本の再現がまっている。言論弾圧は、まずマスメディアの迎合から始まる。NHKの最近のひどさは、言論を弾圧する土壌づくりにつながっている。


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雑感NHK

Posted by 東芝 弘明