譲れない一点がある。

雑感

かつての学生運動は、体制への批判だった。社会をより良いものに変えるためには、社会を変革しなければならない。こういう意識に支えられていた。その中でニセ左翼と呼ばれるようになった過激派は、体制批判をしつつも陰では権力に取り込まれている部分もあり、運動の分断という役割も担っていた。

日本共産党への期待は、60年安保、70年安保をへて次第に高まり、70年代に入ると革新高揚の時期を迎えた。ニセ左翼の人々にとっては、60年安保も70年安保も敗北だったようだが、日本共産党は、これらの社会的な運動の高まりの中で鍛えられ大きく成長していった。日本共産党に入党するということは、会社の中では迫害視され、差別されるものでもあった。賃金差別や会社の中での村八分のような状態は、70年代の半ばから非常に強まった。それは、革新的な運動の高揚を押さえつけるためのものだった。
日本共産党に入っても、個人的には得するようなことはなにもなく、むしろ厳しい状況におかれることの方が多かった。しかし、それは、社会を変革する者に対する試練でもあった。

最近の構造改革は、権力側から提唱された。戦後の体制は、ありとあらゆる分野で制度疲労を起こしているので、体制を変革する必要があるといった。既得権益と護送船団方式が問題だといい、公務員が最大の敵であるかのような宣伝が行われた。多くの人々は、特権階級のように宣伝された公務員攻撃に拍手喝采をおくった。

しかし、日本の構造改革が唱えた制度疲労論の中には、戦後民主主義の転覆という考え方が入っていた。安倍政権は、この考え方を前に押し出す政権だった。既得権益の打破や公務員攻撃は、なりを潜め、前面に押し出されてきたのは、戦前の歴史を書き換えようとする一大キャンペーンだった。
このキャンペーンに対し、国民は戦後民主主義の成果を持ちよって、粘り強いたたかいに立ち上がりつつある。戦前の歴史を大胆に書き換える動きは、これに迎合する人々を元気づけている。右傾化を公然と歓迎する人々が姿を現しつつある。

権力の後押しをして、安倍さんのいうことに拍手を送り、大合唱するような、強い者に巻かれて、強い者のしっぽを握って、ワイワイいうような運動は、運動とは呼べないのではないだろうか。
右翼的な潮流が増えているのは間違いない。でもこのような潮流は、権力を握っている人々に守られているように見える。社会に出て荒波にもまれながら頑張り抜くという感じはない。自分の身の安全を確保して、ヤジを飛ばしている応援団のような感じがする。どうも胡散臭い。
自民党の安倍政権の動きについていく自民党の議員もいる。さも、右翼的な論調がいいかのような言動を行う。10年前はそんなことを言っていなかったのに。時代に流されて、時流に乗ってみごとにサーフィンをするのがうまい。

物事の真実を追求する人間でありたいと思う。自分の足で歩く。自分の頭で考える。人々と話し合い、己の信じる道を行く。独断でなく。真理と真実を大事にして。「事実を見極めんとする者は共産主義にならざるをえない」と言ったのはアインシュタイン、「泉に水を飲みに行くように私は共産党に行った」と言ったのはパブロ・ピカソ。チャップリンの晩年の書斎には、マルクス・エンゲルス全集が並んでいた。
「資本主義においては、真理は党派性を帯びる」と言い、「労働者階級は、真理に忠実である場合にのみ勝利する可能性がある」と言ったのはレーニン(ちょっとうろ覚えなので正確ではない)。

長いものには巻かれず、言うべきことはきちんと発言し、正すべきものは正すということをすることが、ときには必要だと思っている。議会でも、煮え湯を飲んで賛成する議員の方々がいる。是々非々で判断していない姿がそこにある。利益を共有し、なれあいを重ねていくところから生まれてくるのは、運命共同体の意識だろう。なれあいの中で、便宜を図っていただき、わずかの恩恵や膨大な恩恵にあずかって、ほくそ笑み、大問題には目をつぶる。こうなってくると改革を求める動きが何とも許しがたい反逆に見えてくる。こういう人にとっては、清濁併せ飲むのが大人、批判は青臭いということになる。

柔軟に対応していい。譲歩してもいい。しかし、どうしても譲れない点はある。そういう譲れない問題に対して、それを質し、改善を求めるのは、極めて人間的なことだと思う。譲ってはいけない1点がある。それを貫け。貫く道にこそ未来がある。本物の改革は、その先にある。今の時代は、こういう精神が大切にされるべき時代に戻りつつあるのではないだろうか。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明