WOWOWの「沈まぬ太陽」

雑感

WOWOWで「沈まぬ太陽」を見ている。ドラマは第2部に入り、1985年8月12日の日航747、123便の墜落事故を描くところまできている。WOWOWの売りは、視聴者がスポンサーであり、一切の企業コマーシャルがないので、民放テレビが描けない作品を作ることができるというところにある。本来ならば、NHKも同じはずだ。しかし、NHKは、政府よりになってしまい、国民の側に立つ、言い替えれば、国民主権の側に立つという姿勢が、かなり弱まっている。
WOWOWの「沈まぬ太陽」は、労働組合と企業とのたたかいを描き、労働者の側に立って要求を実現した主人公が、10年近く海外赴任を命じられ、最後は、アフリカの就航計画さえない地域に配置転換することを真正面から描いていた。「沈まぬ太陽」では、国民航空という会社名だが、この会社が日本航空を描き、数々の墜落事故を描いた末に、1985年8月12日の日航機墜落を描いていることは、誰が見ても分かるようになっている。
いっしょに見ている妻は、WOWOWの放映に驚きを隠せない。
「ここまで日航のことを赤裸々に描いてもいいの?。ものすごくリアルに描いている」
ぼくも見ながら、このドラマは民放テレビでは絶対に描かれないものだということを強く感じる。

民放テレビは、労働組合の活動をほとんど描かない。おそらくNHKも労働組合のことは描かない。政治のことを描いたとしても、それを書いてきた作家は、ごく限られた人だ。第一人者は山崎豊子さんだろう。この「沈まぬ太陽」も山崎豊子さんだが、この作品は、しかし、WOWOWでなければ作成できなかったと思われる。10回を超えた放送は、かなりの時間をかけて、克明に会社の不当労働行為を描き、労働組合の幹部が閑職に追いやられている姿を描き、利益優先の中で事故の事実を隠蔽してきたことまで描いている。御巣鷹山への123便墜落事故に対し、国民航空がどのような対をして行くのか。それは11話以降の話になるだろう。ドラマから目が離せない。

テレビドラマにしても、ドキュメンタリーにしても、見る人に物事を深く感じさせる作品というものはある。NHKの科学技術をあつかったサイエンス的なドキュメンタリーを見ていると知識が深まる。本当は、映画やドキュメンタリーは、人間を賢くする力を持っているのだろうと思う。しかし、テレビを見ていると物事を深く考えないという傾向が強まるのは、映像の持っている本来の力を、物事を深く考えない方向に誘導するような作り方をしているからだろう。ただ単に表面的な印象を植え付けるのではなくて、知識が深まるような科学番組をNHKはたくさん作ってきた。同じような手法で政治や社会のことを追及し、探究する作品もたくさんあった。

娯楽を追求するような作品を否定はしない。バラエティにも面白い番組はある。しかし、面白おかしくためになるだけではなくて、じっくり事実を掘り起こし、視聴者に問いかけ、一緒に問題を考えさせるような番組を作る力もノウハウも、本当はテレビ局は持っている。
「沈まぬ太陽」のような作品が、視聴者のために作られれば、視聴者はものすごく物事を深く考えるようになるだろう。
ぼくは、いま小説「沈まぬ太陽」を読み始めている。テレビを見れば、本が読みたくなったり、紹介された世界をさらに知りたくなったりするような作品がたくさん作られれば、世の中はもっとよくなるだろうと思われる。

結局、そういう作品が世に出るのかどうか。それ自体がたたかいになる。そういう作品を忌み嫌う勢力と限られた条件の中でも作ろうとする人々との。
階級闘争は、現実世界の利害関係をオブラートに包みながら、現実問題として深く存在している。企業は、商品を売るためにさまざまなイメージをコマーシャルに載せているが、多くの企業では、長時間労働があたりまえで、企業が御用組合として労働者を苦しめているという例も少なくない。ヒューマンを売り物にし、国民生活をサポートしているような企業イメージを振りまいている会社が、原発を推進しているというのも少なくない。民放テレビが作成するドラマに労働組合が全く出てこないというのも、階級闘争の現れだろう。
WOWOWはNHK以上に国民の側に立っているのかも知れない。月2300円という視聴料を払う値打ちがあるようなドラマが作られている。

NHKにお金を払っているのは国民だ。国民主権に背を向け、安倍さんに迎合しているのは、国民主権違反。莫大な視聴料は、国民のために使うべきだ。改めてそう思う。NHKこそ、政党や政治の本質を突き、労働者の権利を守ることが国民の権利を守るものであることを示し、社会問題を丹念に探究し、国民とともに考え、国民の世論を励ますものであるべきだろう。
知る権利は、国民の個人にある。個々人が持っている知る権利を保障するために、報道の自由がある。国民主権を貫いていけば、政府に対しても、企業に対しても対等に向きあって、真実が何かを探究できる。NHKの視聴料を払っている圧倒的多数は、国民だろう。NHKは、この国民に依拠して番組を作るべきではないのか。
日本放送協会と日本民間放送連盟の共同の「放送倫理綱領」は、「福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする」とともに、「民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る」ことを宣言している。ここに基本中の基本がある。この立場に立った上で、「意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない」としている。この立場に立てば、放送がただ単に意見の違う問題に対し、バランスを取るものではないことが明らかになる。
「放送倫理基本綱領」を引用しておこう。

 

放送倫理基本綱領

平成8年9月19日制定

日本放送協会と日本民間放送連盟は、各放送局の放送基準の根本にある理念を確認し、放送に期待されている使命を達成する決意を新たにするために、この放送倫理基本綱領を定めた。
放送は、その活動を通じて、福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。
放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。

 放送は、いまや国民にとって最も身近なメディアであり、その社会的影響力はきわめて大きい。われわれは、このことを自覚し、放送が国民生活、とりわけ児童・青少年および家庭に与える影響を考慮して、新しい世代の育成に貢献するとともに、社会生活に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民の生活を豊かにするようつとめる。

放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。

報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。

さらに、民間放送の場合は、その経営基盤を支える広告の内容が、真実を伝え、視聴者に役立つものであるように細心の注意をはらうことも、民間放送の視聴者に対する重要な責務である。

放送に携わるすべての人々が、この放送倫理基本綱領を尊重し、遵守することによってはじめて、放送は、その使命を達成するとともに、視聴者・国民に信頼され、かつ愛されることになると確信する。


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雑感

Posted by 東芝 弘明