人間が練れていない

雑感

「自分が正しくて、相手が間違っていると全否定する姿勢は恐いです。常に自分を疑った方がいい。人が攻撃的になるのは、視野が狭くなるからです。いろんな人の声に耳を澄まして、世界を広く深く、複雑なものとして見ることを忘れないようにしたいですね」

赤旗日刊紙(2018年1月29日付)の学問文化欄のインタビューに登場した高橋源一郎さんの言葉がいい。
「常に自分を疑った方がいい」
この言葉を座右の銘にしたい。マルクスが好きだった標語の「全てを疑え」には、自分の認識も含まれていたはずだ。ぼくは若い頃は論争が好きで相手を論破するような傾向が強かった。これに対し、最初に「違うよ」と教えられたのは、21歳のときのことだったのかも知れない。「もっと相手の話をよく聞くように」というのが、その中味だった。この言葉を通じて、かなり相手の話を聞くようになった。しかし、それでも論争が好きだという傾向は変わらなかった。

次の変化はいつだったのだろうか。相手の話をよく聞こうとする傾向がさらに強まったのは、議員になってからかも知れない。赤旗の集金や訪問では、ほとんど相手の話をよく聞くことが多くなった。相手の話をよく聞いて、相手が語る世界に共感したり考えたりするようになった。

それでも、まだ論争好きというのは変わらなかった。こういう傾向に変化が生じたのは、一般質問に対する取り組みによるところが多い。いつの時期からかは、はっきりしないが、自分の問題意識に基づいて情報収集を行い調べていく過程の中で、自分の認識が変化して行くのが楽しくなった。事実を追いかけていくと、考え方が変化して行くのを自覚するようになり、自分の認識の変化が喜びになった。それは、「発見」という言葉で表されるものだった。
一般質問の準備の過程は、発見の連続、自分の認識の変化の連続だった。このことを通じて、自分の問題意識や考え方に固執するような傾向は少なくなった。意地になって自分の説にこだわって、自己主張を貫こうとするような傾向は、少なくなった。自分と違う意見に出会っても反発する傾向は少なくなった。
質問準備を通じて自分の認識が変化して行くのを楽しいと感じ、この変化を軸に質問を組み立てるようになって、「常に自分を疑った方がいい」という姿勢をある程度身につけられるようになった。

ただし、自分に対して攻撃をしかけてくる場合、熱くなってしまうことは時々おこる。自分に対して敵愾心をむき出しにして迫ってくる場合は、こちらも感情的になる。冷静にはなかなかなれない。このような場合への対応の仕方という点では、まだまだ人間として練れていないと思う。
攻撃に対しては、身構えてしまうのだろう。攻撃を受けても、いなしたり冷静に対応したりできるようになれば、かなり人間的には、練れた人間になるのではないだろうか。
攻撃に対して感情的に反撃しない。こういう姿勢はどうやって身につけられるだろうか。これについては、研究したい。
もしかしたら、自分に対する攻撃に冷静に対応するというのは、かなり難しいことなのかも知れない。これが実現できたら、一皮むけるかも知れない。

相手と一緒に物事を考えるという姿勢はあるだろうか。
相手が問いかけてきたことによって、考えられていなかった問題に対して、答えのようなものを見いだすというようなケースがある。
この前、娘から「どうして、日本国憲法を変えて戦前のような日本に戻そうとするのか」
と問いかけられた。
このことについては、ほとんど考えられていなかった。
娘の問いかけに対して浮かんできたのは、高野山で毎年行われているA級戦犯に対する「法要」だった。「いわれなき汚名を受けて罪に問われた人々の汚名を晴らす」ということを大きなテーマにした法要はに対して、ぼくたち議員にも案内が届く。驚くべき法要が、毎年高野山で行われていて、安倍総理はここにメッセージを送っている。

「『A級戦犯の汚名を晴らす』という法要がある。結局自分たちの血族などが、罪に問われ責任を問われたことは間違いだった。これらの人々に汚名を着せたことは許せない。あの時の戦争は正しかった。アジア解放の戦争だった。これを覆すのが私たちの使命だというような感情が、憲法改正の根底にあるのではないか。戦前回帰の運動の根本には、こういう感情があるのかも知れない」
娘の問いにはこう答えた。
1945年、戦争の敗北によって大転換が起こり国民主権の日本が実現したが、今、日本国内には、戦前回帰を求めるような考え方が台頭し始めている。フランス革命後、王政復古の運動が起こり、ナポレオンが帝政をしいたように、民主主義的な革命が起こっても、この革命をひっくり返すような反動的な逆戻りを経て、さらに民主主義は前進した。日本は、戦後国民主権を実現したが、王政復古のような巻き返しの中にあるという指摘がある。

1つの問いかけによって、お互いの考え方が深まっていくような会話がいい。同じ目線で物事を考えていけるような議論をしたい。

さて。
国民主権と基本的人権、恒久平和という憲法の3原則は、非常に深くお互いを補完している。最近はこのことをよく考える。
第2次世界大戦の評価について決着が着いていない日本は、未来をかけて進歩か反動化のせめぎ合いのなかにある。
私たちは憲法9条という理想を手にした。戦争を放棄し、軍隊を放棄し、国の交戦権を放棄した国は、まだ全世界でも希有な存在だが、軍隊を持たず交戦権を否定した国は、国民主権と基本的人権をどの国よりも徹底できる希有な国になった。国民主権を貫き、基本的人権を貫き通せる国に私たちは生きている。国民主権と基本的人権を支えているのは、憲法第9条だ。憲法第9条を書き換えようとしている人々は、国民主権と基本的人権に重大な制限をかけようとしている。憲法9条改正の立場に立っている改正案や試案、草案などを読むと、その全ての案は、例外なく国民主権と基本的人権に制限をかける条項をもっている。
戦争は基本的人権を破壊する。戦争は国民主権を破壊する。これが歴史の教訓であり、この教訓は、未来への道しるべだ。このことを自覚して、憲法9条を守ろうと言いたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明