議員になって良かったと思っている

雑感

18歳で日本共産党に入党し、20歳で日本民主青年同盟の専従になった。そのとき、まだぼくは学生だった。
23歳で日本共産党の専従者になって、30歳で町議会議員に立候補した。
6歳の時に父親が亡くなり、母子家庭になった。中学校1年のときに寄宿舎に入り、中学校2年になると母が入院したので、親と一緒に過ごしたのは、12歳の時までだった。母は、4年間の闘病の末、高校2年生の冬に他界した。兄が大学を中退し、就職したので、高校3年の時のぼくの生活は、それまでと全く変わらなかった。

母と過ごした時間は小学校を卒業するまで。ぼくの家庭は、友だちがたくさん集まってくるような、他の家庭にはない環境にあった。
18歳で党に入ったとき、人間として真っ直ぐに生きていける道があると思った。こう考えると嬉しかった。
10代の成長は友だちの中にあった。20代の成長は、党専従としての活動の中にあった。

母が亡くなって、わずか3年で兄弟3人はバラバラになった。27歳の頃から、何だか無性に寂しくなった。家庭というものに飢えていたのかも知れない。
30歳の時に「町議会議員に立候補しろ」ということになって、ぼくの人生は大きく変化した。34歳で結婚し、娘が4年後に誕生して家庭というものが、形を整えた。ぼくの中には、母親のイメージはあったが、父親というイメージはほとんどなかった。子どもの頃の父の記憶は、酒と暴力と軍歌だった。ぼくは、そういう父親像を忌み嫌っていた。娘ができて、友だちのように娘と接してきた。そこには、父親の威厳もなければ、気負いもなかった。
娘はぼくに怒られた記憶がない。娘を怒れないのは、おそらく自分の中に父親像がまったく形成されていなかったからだという気がする。

議員の仕事は、極端に単純化すると、調べるところにあるともいえる。テーマを確立して、徹底的に調べ始めると知らなかった世界が見えてくる。自分の認識がひっくり返るところが、一番面白い。そこには新しい発見がある。調べる中での驚きと発見が、積み重なっていくと物事が立体的に見えてくる。人と出会って、色々な会話をしていると、今まで調べたことが鮮明によみがえって会話が弾む。24年間の蓄積は、経験というよりもそのときどき、深く調べたことの認識にあるように思う。会話に豊かな引き出しがあるので、初めての出会いが印象深くなるような気がしている。

積みかさねた一般質問は96回。テーマを決めてできるだけ深く、広く物事を把握する努力を重ねられたことは、自分の財産になっている。質疑にも同じことがいえる。できるだけ深く準備した質疑は、印象にも残るし、町の方針を転換させる力にもなる。
議員になってよかったと思っている。人生が豊かになった。多くの人に出会えた。自分の努力で願いが実現した。多くの人の願いに応えて努力をしてきたので、笑顔が返ってくると本当に嬉しい。
議員は偉くない。権威なんていらない。自分たちが町政を動かしているというような上から目線も必要ない。必要なのは、熱心にこつこつと努力することにある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明