問題解決の力=これも重要な学力の一つ
見える学力と見えない学力とどっちが多い。
見えない学力の方が多いのではないだろうか。
学力とは、一体何なんだろう。
たくさんの知識を覚え、問題が出されたら即座に答える。出された問題を速く正確に解く。
欠くことのできない知識。
論理的な思考。
これらはみんな学力の一つ。
しかし、ペーパーテストは、はじめから答えありきで問題を作っている。つまり、どんなにひねっていても、回答が用意されていて、その回答を正確に、しかも速く解くことを求めている。じっくり時間をかけて問題を解いても意味がない。点数はどうしても低くなってしまう。
このようなペーパーテストで計れるのは、どんな学力なんだろうか。
大きな力になるのは、暗記力。
国語などでは、文章を読んで、文章を読み取る力が問われる。
数学では、発想力も問われるのだが、いかんせん、難問を出されても素早く解く力が必要になるので、多くの問題を解いて、解き方を頭にたたき込んで、問題を見たら、それが思い出されて、素早く解くという力に矮小化されていく。
化学も物理も生物も、大学入試に問われるのは、やはり暗記力だろうか。
歴史は、暗記力によるところが多い。
古文も漢文も同じ。
受験英語はどうだろう。やはり暗記の比重が高いのかも知れない。
大学になると考える力が問われはじめる。記述式の試験となると、まず文章を書くことが問われる。文章が書けないとうまく行かない。
ところが、日本の小中高の国語教育は、日本語の文章の書き方を読解のように懇切ていねいに教えていないので、文章を自由に書ける人が思った以上に少ない。メールという文化の発達によって、文章の中に話し言葉がどんどん混じりはじめている。親しみをこめて、メールをくれる人も多いが、話し言葉のままの文章を読むと、いらつくことがある。そう書いている自分も、心もとないが。
ぼく自身のことを書くと、物事について考えられるようになったのは、哲学を学んでからだった。
例えば、物事には現象と本質があり、現象を離れた本質はなく、本質は現象するということとか、個別の物事の中から導き出される法則をつかみ、それを繰り返していく中で一般的な法則を類推するという帰納法。いくつかの物事から導き出された法則によって、他の物事の法則性を見出すという演繹法とか。規定と否定の関係──物事を規定するというのは、その規定の中に否定を含む。つまり規定性は否定性を包含するとか。偶然と必然の関係──偶然性の中に必然性が貫かれていくとか。──これらはカテゴリー論と呼ばれる。
物事には相反する2つの側面があるというところから出発する弁証法的な見方──物事を連関の中で捉える、生成発展消滅の過程の中で捉える、固定した境界線はないという見方とか。
意識は、発達した物質である人間の脳の働きだということを土台にし、人間の意識は、新しいものを創造する力を持っているが、基本は存在が意識を規定するということに基礎をおく唯物論的なものの見方、考え方とか。
物事に取り組むためには、最初に問題意識をもつ必要がある。問題意識は、物事と物事の差異を発見し、批判的に比較検討するところから生まれる。差異の発見、比較検討によって生まれた問題意識を導きの糸として、情報を集めていくと次第に見えてくるものがある。このような発見によって、さらに問題意識が形成され、この問題意識に基づいて、さらに情報が収集される。新たな発見は、物事を追求する上で活力の源泉になり、これらの積み重ねによって次第に論理が組み立っていく。この時点での問題意識は、最初の問題意識と比べると、内容が豊かになるだけではなく、かなりの変容を伴っている。自分の問題意識をそからさらに発展させてくれるものは、新しい事実であり新しい情報だろう。この過程は、論理的な思考を形成していく過程そのものだが、その中で問題を解決するための方策も見えてくる。
暗記力や知識は、どうしても必要になる。しかし、暗記力と知識だけでは如何ともしがたい領域がある。批判力や思考力は、知識の内容を深く理解し、知識と知識の連関を把握し、立体的に組み立てる力を必要とする。このようにして自分のものとなった知の体系と暗記力を情報として活用し、想像力、批判力、分析力、総合力、創造力を培う必要がある。
はっきりしているのは、
限られた時間の中で、答えのある問題を解くようなペーパーテストの積み重ねだけでは、問題を解決する意欲や問題意識や問題分析力は生まれないということだろう。
勉強というものが、テストで問題を解く力だと思ってしまっている人には弊害もある。世の中に出ると答えのない問題の方が多いので、ペーパーテストに答えを書く、すぐに答えを発見しようとするような思考方法は、一つの障害になる。
与えられた問題を解くだけの力だけでは、物事の連関と連鎖を捉えられない。連関と連鎖が把握できない思考は、非常に狭い、木で鼻をくくったような、論理が正しければそれでいいというような、現実に対する分析力をもたないような傾向を生み出す。大学入試に典型的な、ペーパーテストに答えるだけの学力では、現実の複雑な事象に分け入って行く力は身につかない。
物事を探究する意欲や物事の本質に分け入って行き分析し総合しそこから新しいものを生み出す創造力は、目に見えない学力ではないだろうか。これを問題解決のための学力といってもいいのかも知れない。
東芝さんのいつもの学力論ですが、テストによる学力は確かに文章を書く能力を見ることはできない。大学入試のセンター試験では作文力は見ることができません。ただ、テストは不要か?となるとそれは別問題だと思います。問題解決の力は基礎的な学力があって初めてその力が発揮できるものです。基礎的知識のない人が問題解決をした場合、大きな間違いをするものです。
ペーパーテスト重視が正しいと思わないけど、大学に行くにはそれなりの基礎学力がないと問題解決する前に、何を学ぶかも理解できないことになります。
トリノさん、この記事について、電話をくれた人もいたので、コメントへの返事と併せて記事に書いてみます。