「マルクスは生きている」を紹介します

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不破さんの「マルクスは生きている」を読んだ。
この本は、マルクスの入門書、現代社会の抱えている問題を理解する上で最良の入門書になっている。
マルクスが亡くなって126年がたつ。1867年に資本論第1巻が刊行されたが、それから142年がたっている。マルクスのブームが今起こっているが、多くの方々の驚きは、140年も前の本が、現在の日本の経済の現象を明らかにする手引き書、もしくは現在に警告を発している予言の書になっていることだろう。
なぜ140年前の本が、これだけ生命力をもっているのだろう。そう考えている人が増えている中で、不破さんのこの本は、それに答えたものになっている。
この本は、次のような章立てになっている。
第1章、唯物論の思想家・マルクス
第2章、資本主義の病理学者・マルクス
第3章、未来社会の開拓者・マルクス
今日は、哲学の分野に絞って書いてみよう。
不破さんは、哲学の根本問題の理論的な議論はおこなわないで、唯物論と観念論を分ける質問から入って、唯物論の到達点の話に分け入っている。
最近の素粒子論の話も紹介されている。
この本を読みながら益川さんのテレビでのコメントを思い出した。
「神様は存在すると思いますか」
これに対する益川さんの説明は明快だった。
「宇宙の歴史は137億年。地球の歴史が46億年。人類の誕生はそれから比べるとほんの少し前。宇宙の歴史しかはるかに長いんですよ」
「神様は存在しないと」
「そうです」
人類の歴史の始まりは、600万年前ぐらいになる。最初の人類だとされているアウストラロピテクス属は、約540万〜約150万年前に存在したといわれている。
益川さんの発言と不破さんのこの本は、共通している。ここに唯物論的な基礎がある。物質の歴史的な発展の中で人間が誕生し、精神が生まれたという認識が、唯物論の基礎になるということだ。神というのは、人間が誕生し、人間の精神活動の中で生まれてきたものであって、宇宙の歴史の以前から存在していたものではない。
本から離れて脱線してみよう。
人類のすべての宗教は、世界の起こりを137億年前という説をとっていない。137億年前に宇宙が誕生したとされるのは、観測の結果によるものだという。
物理学の1つの説は、宇宙が反物質と物質が対になって存在し、この対称性の破れによってビックバンがおこり、陽子、電子、中性子、原子核、原子が生成され、中性水素が生成され、という歴史がことの始まりだとされている。
科学が発達していない時代の宗教による世界観、宇宙観は、自然科学の今日のような観測や認識を超越できなかった。自然科学の宇宙の歴史と宗教が描いた地球の歴史には大きな隔たりがあるということだ。
神が絶対的な真理を司っているならば、科学が発展していない時代でも宇宙の起こりを説明していなければならない。宗教と今日の自然科学的な認識との隔たりは、宗教が人間の精神活動の中で生まれてきたことを証明している。
繰り返そう。
物質の発展にも歴史があり、自然も社会も歴史的に生成されてきたもの。これが唯物論の基本的な認識だ。この認識は、観測と具体的な研究によって明らかにされてきた。人間の直感は、地道な研究の成果を超えられなかった。
認識論についても書きたくなった。
不破さんは、さまざまな観念論(現象学も含めて)については言及していないが、唯物論は、人間の目で見える現象が何であるかという点から、客観的な存在を疑うとか、客観的な存在について揺らぐことがない。
唯物論は(というか、自然科学は)、人間の目の構造も明らかにし、人間の肉眼で見えるもの、見えないものを明らかにしている。人間以外の生物の目が、人間の見えないものが見えていたり、人間が感じ取れない音や匂いを感じ取れることも解明している。そこには、神秘的なものはない(「NHKのアインシュタインの目」という番組が面白い)。
唯物論にとって、客観的な事物の存在というものには疑いの余地がない。事物の客観的な存在が、歴史的に発展して複雑な世界が形成されてきたのだから、人間が見ている現象が何であるかという問いに対しても、唯物論は冷静に、着実に対象の解明に接近していく。
肉眼では見えないものを人間は顕微鏡などで見てきた。電波望遠鏡なども開発し、目には見えない宇宙線などの電波の動きもとらえてきた。温度センサーであるサーモグラフとか、細胞内のさまざまな物質の存在を把握するという点でも、唯物論には揺らぎがない。
唯物論の立場に立ちきれないと、素粒子の世界のクォークの世界なども解明できないだろう。物質の存在を見失ったら、観測が非常に困難なので数学上正しければ、さまざまなことは成り立つという相対論に迷い込み、事実と違う説を信じたりしてしまう。
素粒子論の世界の真理を証明するのは、最終的には理論を観測によって証明することだろう。新しい観測が、説明できない現象を内包していれば、理論がそれに追いついていないということになるが、何が真理かという分岐点は、物質の客観的な存在へのゆらぎのない確信だろう。
本に戻ろう。
不破さんは、日本の物理学のノーベル賞が素粒子論に集中し6人も受賞している根底には、自然の研究方法に力強い流れが存在していたと書き、それが唯物論と弁証法だったと書いている。
不破さんは益川さんの言葉を引用している。
「私にとって弁証法的唯物論は予測を立て、自分の世界観を立てる上で重要だった」
この本では、史的唯物論についての説明もなされている。人間社会にも自然と同じように発展の歴史があり、法則的な流れもある。史的唯物論は、人間や社会の歴史、その国の政治構造や社会構造を分析する上で「導きの糸」のような役割を果たすが、不破さんは、具体的な事実の分析を通じて、政治や社会の具体的な分析をおこなうところに史的唯物論の神髄があることを力説している。
マルクスのこういう紹介も面白い。
マルクスは生きている (平凡社新書 461)/不破 哲三

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Posted by 東芝 弘明