笠田高校に取材に行った

出来事

議会広報「がんばる人」の取材で笠田高校に行った。
玄関前に車を止め、植え込みと玄関の写真を撮った。
数段ある階段を登った左手に事務所がある。
事務所に声をかけると、玄関のロビーですでに先生が待ってくれていた。階段を後について上り、2階の進路指導室に招き入れられた。
「初めまして」
女性の先生と男性の先生2人が取材に応じてくれた。新館(ぼくたちが2年生から3年生になる時に建てられた建物だから、すでに38年が経っているので新館とは呼べないが)にはほとんどなじみがない。3年の時に担任してくれたK先生を訪ねたときのことが思い出された。卒業して訪ねた部屋は2階か3階にあった。社会科の先生たちの部屋だった。窓の外の景色を見ていたことが思い出された。

今日の取材は、総合ビジネス科の2年生の「広告・販売実習」の取り組みがテーマだった。
年間数回、「広告・販売実習」の授業があり、生徒はせんべいとおかきをもって、笠田の郷ステーションと笠田ふるさと交流館で販売を行う。
詳しく書くと、「がんばる人」の記事に対するフライングになってしまうので、これぐらいでおしまいにしたい。
高校生の販売実習に対し、笠田の人々は実に優しくこの取り組みを受け入れ、買い物に来てくれるのだという。
笠田の郷ステーションの取り組みもそうだったが、ぼくたちの住んでいる笠田という地域は、実に人に優しい地域になっているのだと思う。

かつて、笠田高校には、地元高校進学運動があった。ぼくたちは、この運動の申し子であり、ほとんどの同級生が笠田高校に進学した。この取り組みによって、ぼくたちは、同級生の友人というかけがえのない宝物を与えてもらった。中学で200人ぐらいいた同級生は、みんなどこかで通じ合っている。大人になっても、中学校と高校の時代の同級生が周りにいて、それが地域を形成する力になっている。地域を形成する力──これが地元高校進学運動の最終的な成果だった。
この運動を壊したのは、全県一区の校区設定だった。進学の自由という名目の校区廃止は、結局成績による学校の序列化を実現しただけで、この棲み分けは学校の統廃合にまで結びついてしまった。

競走は、結局は豊かな学力を形成することには結びつかない。学校制度という点で、日本はどうしてアメリカ式を学ばなかったのだろう。アメリカには、受験競争が基本的には存在しない。塾がない。大学は、ものすごく高い授業料になってしまったが、文字通り真剣に学ぶ場になっている。
一発試験で受験させるのではなく、学ばなければ留年し退学して行かざるを得ないようにするだけで、大学は大きく変化する。
よく言われるように入りやすく出にくい大学にするためには、文字通り入りやすい大学制度に変えればいい。
それが受験競争をなくす道につながっていく。高校3年間の集大成として到達試験を行い、自分の成績に応じて行きたい大学を選択できるようにするだけで、受験競走は変化する。

18歳の若者に「燃え尽き症候群」を生み出すような受験競争には、大きな弊害がある。点数を取るだけの「ごまかし勉強」は、本来の学問の妨げにもなる。最近の大学は、独立行政法人化による予算獲得競争と就活によってさらに歪められている。近視眼的な研究によって研究の幅が狭められるとともに、学生にとって大学は就活のための腰掛けのような存在になっている。

話をしながら、こんなことも浮かんできた。
今日の取材の結果、7日の火曜日、「広告・販売実習」の反省会というか、感想発表の授業を参観させてもらうことになった。原稿は、この7日の取材を踏まえて9日の会議までに作成することになる。高校生に会えるのは今から楽しみだ。


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Posted by 東芝 弘明