貧困とは何か

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かつらぎ町には、議員のぼく以上に生活相談にのって、人々のくらしを支えている人がいる。
名前はOさん。
今日は、朝9時からその人にあって、Oさんの相談事の中身を聞かせていただいた。
今までも、いっしょに行動したことが何度もある。
話を聞いていると頭が下がる。
いつも、まわりの人々の悩みや苦労を抱え込んで、役場と交渉し事態を切りひらいてきた人だ。
なぜ、こういう生き方ができるのだろうか。
Oさんは、商売もしているが困った人のために立ち働いているので、損ばかりしている。こういう生き方をしていて、家族まで巻き込んで家庭にも影響を与えているというのに、奥さんはニコニコと旦那さんを支えているように見える。
マルクスは、18歳の時に次のように書いた。
「歴史は、社会一般のために立ち働いたことによって、自らを高めえたものを偉人と呼ぶ」
Oさんは、文字どおり偉人だと思っている。
優しい気持ちをもつことも大事だが、優しい態度を実際に貫いて生きている人がいる。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」を生き方にしている人がいる。
今日は、Oさんの悩みを聞く形になった。途中からもっていき場のないやり切れなさを聞くことが大事なのだと思いながら話を聞かせていただいた。
人の苦しみが自分の生活と気持ちの中に入ってきて、解決のめども立たないから、苦しくなってくる。そうなると、相談者も何らかの形で、誰かに行き詰まって展望が見えない事を聞いてもらう機会が必要になる。
しかし。
国はこの間、国民への負担を増大させた。重層的に税や社会保障の負担がのしかかり、生活が破たんすると水道光熱費や家賃とともに、社会保障費や税金が払えなくなる。
社会保障の負担が払えないことによって、病院にも行けないような事態が直ぐ起こる。
国民を救うはずの社会保障が、国民生活を最終的に追い詰める。
テレビで、あなたが貧乏を感じるのはどんなとき、という質問があった。
旅行ができなくなったとき、外食を控える必要が出てきたときなどという答えが続いた。
水道光熱費が止められたとき、
税金が払えなくなったとき、
住宅ローンが滞ったとき、
会費が払えなくなったとき、
お米が買えなくなったとき、
国保税が払えなくなって、資格証明書を受け取ったとき、
冷蔵庫がほしいのに買えないとき、
子どもに学校の集金を持たせてあげることができなかったとき、
1日、一食だけラーメンを食べるとき、
住む家がなくなったとき、
こういう話はついぞなかった。
貧困は、ぼくたちの生活の隣にいて、大きな穴を開けて待っている。
中をのぞき込むと、真っ暗けで、おーいと声をかけても、返事が返ってこなかった。
入ったら最後、出てこれないような漆黒の闇が隣で大きくなりつつある。
隣との距離は、ずいぶん離れていたのに、逃げようとしてもじりじりと輪を拡大して、迫ってきた。


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Posted by 東芝 弘明