2015年12月31日

雑感

みなさんにとって、2015年はどういう年でしたか。
今年は、中学校の同窓会の準備から始まった1年でした。ゆっくりみんなで会議を開きながら準備して、9月に同窓会を開きました。多くの同級生に集まってもらい、印象に残る同窓会を開くことができました。56年か55年生きてきて、いろいろなことを折りたたんで同窓会に集まってくることが、奇跡的なことだったと思います。一緒に幹事をしたみなさん、改めてご苦労さまでした。

9月は、安保関連法案が強行採決された月でした。2015年は、これから先の時代の中でどうふり返られる年になるでしょうか。新しいファシズムの始まりの年として記録されるのか、それとも戦争か平和かのせめぎ合いの中で、平和への運動の転機となった年として記録されるのか、今年がどういう年だったのかというのは、今後のたたかいにかかっていると思います。歴史は、まだ過ぎ去っていない過去とすでに始まっている未来との間で、いろいろなベクトルを持った運動によって形づくられているものです。
現代憲法は、国民の権利を保障しつつ、権力の手を縛っています。動いている歴史の中で2015年という年は、国家権力が日本国憲法の立憲主義を真正面から踏みにじって、「権力による暴走」のアクセルを全開に踏み込んだ年でした。まだ確定していない歴史の中で、これは、未来においても評価の変わらないものでしょう。
この時代の動きを根底から把握し、多くの国民が危機感を持って立ち上がりました。この運動にこそ未来への希望があります。この運動の中に身を置いて、平和で民主的な未来のために、新しい年も頑張りたいと思います。

2016年は、地方自治体が試される年にもなると思います。議員としてこのことを問いかけたいと決意しています。住民の生命や財産、福祉の向上を果たすべき地方自治体が、暴走する権力に対してどういう態度を取るべきなのか。これは、追求すべきテーマの一つになると思っています。沖縄のたたかいは、全ての地方自治体にも問いかけられているものだと思っています。国家権力が地方自治体の権利を蹂躙しつつあることに敏感であるべきだと思っています。

国の動きは、大状況です。平和な時代というのは、国家のことを意識しなくても人間は生きていけます。国家が憲法に手を縛られて、国民の権利を守っている時代は、大状況なんて国民にはあんまり関係のない時代なのだと思います。しかし、国の動きが国民の生活に絡まりついてくる時代が始まりつつあります。このような時代は、国民にとっては不幸な時代です。戦争準備は、国民に覆い被さってくるものです。国民である限り戦争から逃れることはできません。あなたが無関心でも、国家はあなたを無視しないということです。マスメディアが批判され、統制されつつあります。この動きは、国民監視の出発です。外濠が埋められ内堀が埋められていくと、国民の生活に国家が厚かましく足を踏み込んでくるようになります。2016年は、より一層反動化の強まる年になることは、間違いありません。このような動きに対し、自由と民主主義が大切だと思っている人は、声を上げるべきだと思います。そういう動きを見抜いて、自由と民主主義を守る側に立って、一緒に力を合わせてほしいと思います。
立憲主義の破壊という問題は、全ての国民の一大事です。この動きは、全ての国民にとって見過ごすことのできない動きです。思想や信条の違いなんて本当は関係がありません。国家権力は、安倍政権にシンパシーを感じ、応援している人々に対しても支配の網の目を張り巡らせようとしています。全ての国民の自由と民主主義を破壊しようとしている動きに対し、敏感であってほしいと願います。

さて、新しい年が始まります。2016年をどういう年にするのか。それは、1年の計にゆずります。


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雑感

Posted by 東芝 弘明