感情のこもった文章を相手に投げつけるな

雑感

「文章を書くのが苦手」
そう思っている人は多いだろう。
「文章を書くのは苦手だけど、メールならどんどん書ける」
そういう人も多い。
メールやLINEのメッセージは、話し言葉の延長で、文章を書いているというのとは、かなり違うのではないか。もちろん、メールやメッセージを書いている人の中には、「文章を書ける」人はたくさんいる。
しかし。
文章を書けない人は、ものすごく多い。

手紙を書く文化があった頃(昔話か?)、人々はもっと文章を書くことを意識していた。
手紙を書かなくなって、文章を書く機会が少なくなったので、日本人の国語力、とくに文章を書く力は落ちているのではないだろうか。

もともと、日本人は、学校教育の中で文章の書き方を学んでいない。学校の作文教育は、「自分の気持ちを素直に書きなさい」ということが中心であって、日本語の文章がどのようにして成立しているのか。自分が文章を書くときに、何に注意して書けばいいのか。そういうことは教えられない。

教えてもらわないのだから書けないのは当たり前だ。
小説をいくら読んでも、報告文などが書けないのは当たり前だ。日常生活を送っている人が、日常的に絶対と言っていいほど、小説の形で文章を書くことはない。小説は、リアルタイムに情景や心情を描写しながら文章が綴られていく。テレビドラマや映画を文字で表現していくのが小説だと言えば、現代人には伝わるだろうか。

社会に出て、報告文や説得を試みる文章を書くことが一番多い。新聞でいえば記事と社説だ。主張があって論理の展開があって、相手に論旨を伝え納得を促すのが社説のような文章。事実を伝えるのが新聞の記事だ。この二つの文章が書けるようになると「文章が書ける」ということになる。

言い方を変えれば、小学校のときに書かされた「自分の思ったことを素直に書きなさい」という作文と「本を読んで感じたことをまとめて書きなさい」という読書感想文を書いても、新聞記事と社説は書けない。
このような状況の下で入選する子どもたちは、小説が書けるようなレベル、社説を書けるようなレベルの子どもたちだ。極まれに、文章の書き方を習っていない子どもたちの中に、かなり高いレベルで小説が書けたり、社説が書けたりする人がいる。しかし、それは、学校の先生の作文指導のなせる技でないことが多い。教えている先生が驚愕するような文章を書く子どもがときどき存在する。

文章の書き方を学校できちんと教え、誰でも中学校を卒業するまでには、報告文と社説を書けるようにして、社会に送り出すことが求められている。日本語の教育のあり方の比重の一つを文章の書き方に据えて、組み立て直す必要がある。

メッセージやメールで読むのがしんどくなるのは、感情があふれているものだ。相手に感情をストレートに伝えると、相手はその文章を読むのが苦痛になる。
殺したい、とか死にたいとか、死ねとかいう文字を100回も200回も重ねて相手に送りつけたら、そのメッセージを受け取った相手は、その人からのメッセージを読みたくなくなってくる。

感情的なことを書くな。というのは、大事な点だろう。相手を深く傷つける文章は、ここから生まれる。それは、スズメバチの一刺しのように、人間関係を壊し相手を傷つけ、消え去ることのない楔を相手と自分との間に打ち込むことにさえなる。

TwitterやFacebookによる悪罵は、感情のこもった弓矢、弾丸だ。悪罵の応酬の背景にも、文章の書き方を習っていない日本人の国語力が潜んでいるのではないだろうか。

雑感

Posted by 東芝 弘明