「権理」が読まれている

雑感

江川さんの応援に行ったときの記事を読んだ方が117人。これが最近のトップ記事。毎日更新している記事は、平均で40人弱の閲覧者がある感じ。過去の記事で徐々に閲覧者が増えているのは、『権利を権理と訳した福沢諭吉』という記事だ。新しいアクセスカウンターを設置してから閲覧されているのが数値で分かるようになった。現在102まできた。記事を書いたのは2011年12月だからもう8年近く前になる。

福沢諭吉は権利を権理と訳した。この訳は卓見だったと思う。ぼくのブログ記事は、このことを書いたものだ。この記事が江川さんの応援記事よりも閲覧数で上を行きそうな感じがする。

権利という言葉には、利害や利益の「利」がある。どうしてこの「利」が訳として採用されたのかはよく分からないが、福沢諭吉さんの「権理」という訳の方がかなり語源に近い。権利の利は「ことわり=理」の方がいい。権理には、正しいことを貫くというニュアンスがある。権利は英語で「right」。意味は、正しい、正当な、正義のとなっている。特権は「privilege」。日本語では権利と大ざっぱに把握されているが、英語では、権利を巡る言葉には、いろいろな言葉がある。請求権は「claim」。細かく区別されているのも興味深い。
rightを体現した権理という言葉が世の中に普及していれば、日本社会はもう少し住みやすくなったし、権利と義務が対をなしているかのような誤解も生まれなかったとも思われる。

同じようなことを書いている人は何人もいる。「子どもの権理条約」という言葉だったら、子どもの権利を認めるなんて、それはやり過ぎなんじゃないのという誤解とは無縁になると思うが、いかがだろうか。

まずは、権利を権理と書いてもいいですよということにして、ある時期に権利は権理に統一しますというようにすれば、今からでも言葉を直すことはできるのではないだろうか。

沖縄県民の基地はいらないという正当な主張は、沖縄県民の権理だ。
うん、なかなかいい。

雑感

Posted by 東芝 弘明