1月に党大会が開かれる
地域の共産党の総会があった。日本共産党は、26回党大会を1月15日から開催する。この党大会に向けて党大会決議案が発表されている。各支部の総会で代議員を選出し、地区党会議が開催される。支部総会でも地区党会議でも党大会決議案が議論される。地区党会議で代議員が選出され、県党会議が開催される。県党会議でも党大会決議案が議論され、代議員が選出されて、党大会が開催される。党大会で党大会決議案が修正され、採択される。
全党が参加する形で討議され、深められた党大会決定は、日本共産党が今後活動する上で最大の活動の方針になる。党大会は中央委員会を選出する。この党大会決定を受けて、県党会議、地区党会議、支部総会という形で党の会議が開催され、県委員会や地区委員会、支部の役員が決定されていく。
このような流れをたどって党大会を開始している党は、日本共産党以外存在しない。党大会決議案が発表されて、採択されるまで2か月以上の期間があり、3か月ないし4か月の期間をかけて各党会議が開催されていく。
他の政党は、1時間で党大会を終えたり、1日で終えたりしている。党大会決定という内外に明らかにされる党の公式な方針文書というものも他の政党にはないに等しい。民主党のように長く綱領を持っていなかった政党もある。政権与党であった時代に綱領はなく、今年の2月、選挙で敗北して野党になってから綱領が党大会で決定されている。文書は極めて短い。日本の現状分析というものはない。
日本共産党の綱領は、1戦前の日本社会と日本共産党、2現在の日本社会の特質、3世界情勢――二〇世紀から二一世紀へ、4民主主義革命と民主連合政府、5社会主義・共産主義の社会をめざしてという5つの章から成り立っている。戦前の歴史的な分析と戦後の日本社会の変化と現状分析及び世界情勢の分析の上に立って、日本社会を民主主義的に変革する展望、民主主義革命をへて社会主義、共産主義の未来をめざす展望を明らかにしている。
党綱領の文書も、読めば分かるやさしい文書に変わっている。読めば日本が抱えている問題とともに日本社会の発展の展望が見えてくる。
もと佐賀大学教員の豊島と申します.佐賀県党会議での発言を私のブログに掲載しています.秘密法敗北の総括をすべきこと,議案に福島原発事故による避難者への対策を盛り込むべきこと,そして尖閣問題と国内右傾化の一体性という問題です.ご訪問いただければありがたく存じます.
http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2013-12-27
豊島さん、ブログを読ませていただきました。ご無沙汰?といえばいいでしょうか。以前、何度か交流がありましたよね。
発言、読ませていただきました。大会決議案の討議なので、大会決議案の内容について、議論をするべきだと思っています。決議案の文章を充実させて、より良いものにするという点で、積極的であるべきだと思いますが、発言の多くが「経験発表」であり、同時に「全面的に支持する」という傾向が強い点については、色々思うところがあります。大会決議案は、「論文」なので論じられていることについて、意見を交わすことも大事ですし、より良いものにするために、意見を積極的に出すことが大切だと思っています。
規約の改正について、なるほどと思いました。ブログやSNSで発信していると、全国的な問題にしろ、国際的な問題にしろ、自分の意見を書きますよね。国政問題や外交問題は、党中央の専決問題だということでは、ブログやSNSなんて書けなくなります。一国民として、国政でも外交でも思いのたけを書けばいいと思っています。自分の意見である場合は、私見だと言って書けばいいのだと思っています。
中央委員会の決定に反しているかどうかという点も、何を持って反しているのかは、極めて分かりにくいです。おそらく、日本共産党と全く違う見解をもって、党中央を名指しで批判したり、党の方針の変更を公然と求めたりするのは、党員でありながら、党を公然と批判することになるので、問題を帯びてくるでしょうね。
日本共産党は、現実の階級闘争をたたかっている政党ですから、悪罵も含め徹底的に批判される存在です。日本共産党を裏切った人々の多くが、反共的な陣営に組みして、多くの出版物を出して攻撃するのは、日本共産党の内部にいた人間が、事情通として日本共産党を攻撃すれば、信憑性が高いということで、本も出してくれるし、原稿料ももらえるという状況にあります。国会議員など有名だった人が、半日本共産党の立場に立って攻撃すれば、生活が成り立つという仕組みがあります。こういう人は、ある意味で、日本共産党を拠り所にして生活している人々です。
このような状況にあるので、党の統一と団結を守って、活動することは、今の時代でも大事だと思います。明らかに、意見が違う問題に直面したら、中央委員会に連絡して、意見を交わすようにしたことがあります。党の組織として、団結して事にあたる重要性を自覚しているので、意見が違っても、その範囲で行動するということです。議員であれば、そういうことはごくまれに起こります。
自分が正しくて党中央が間違っているということもあるでしょうが、きちんと意見を上げて、検討していただくと言うことでしょう。ぼくは、議員なので党の統一と団結を守るということを大事にしています。
特定秘密保護法については、たたかいを組織することが遅かったという点については、意見を上げることに賛成します。この点については、中央からも回答をいただきたいですね。ただ、敗北を総括すべきという点については、違う感想を持ちます。このたたかいは、第一ラウンドが終わったところではないでしょうか。たたかいが持続するかどうかは、今後の運動にかかっていると思います。この法律は、国民を監視する体制が整ってはじめて機能すると思います。警察の強化なしには、体制が整わないと思うので、たたかいはまだまだ続くのではないでしょうか。
福島原発の事故に関わる放射線による汚染については、もっとリアルに書くべきだと思います。子どもたちにとって、今の汚染状態がどういうものなのかを明らかにすべきだとも思います。書けない状況があるのか、書かないという判断があるのかもよく分かりません。福島県内では、帰ろうとする運動もあり、帰れないという見解もあり、事態は極めて複雑な様相を呈していると思います。政府や福島県は、汚染を小さく描き、人体への影響も小さく描こうとしています。どのような状況なのかは、よく分からないというのが結論なんですが、最近ポッドキャストで聞いた諏訪中央病院の名誉院長の鎌田實さんのお話しが、一番的を射てるかも知れないなと思っています。これも感想でしかありませんが。
尖閣問題では、日本共産党は中国共産党に働きかける努力を続けるべきだと思います。防空識別圏については、現時点ではぼくに知識不足があります。まだよく分かりません。
現在の情勢は、自民党自身が、支持基盤を失いつつあり、アメリカの対日支配の異常と極端な大企業中心主義の異常が、あらゆる所で矛盾を深めつつある情勢だと思います。その中で極端に反動的な方向が選択されています。決議案は、集団的自衛権の行使、憲法改正という流れについて、「安倍政権の暴走は、危険きわまりないものであるが、恐れる必要はない。この暴走の先に未来はない。この暴走が、早晩、深刻な政治的激動、政治的危機を引き起こすことは、疑いないことである」と書いています。
この下りはそうだと思いつつも、反動的な戦略が成功する可能性もあるのではないか、という気持ちもあります。ここの問題をどう見極めるかが大事だと思います。
ブログ,読んでいただきありがとうございます.ほんとにお久しぶりです.
秘密法で「敗北を総括」とは,もちろんこの件は終わったこととしてではなく,この法律の廃止をめざす闘いがあるわけですが,これは法案の段階でこれを阻止するよりも何倍もの努力を要するはずです.その意味で法案通過は「敗北」と名付けられるべき区切りなのです.それを直視しなければならない,という意味です.(現実を直視しない態度について,もっとどぎつい言葉で批判した記事もあります.「共産党執行部は敗走を「転進」と呼んだ旧軍部に似る」 http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/2013-05-10 )
もっと大きな支持が得られるはずの政党が一ケタの支持率にとどまっている理由の一つに,私の記事で指摘したような,共産党の会議などに見られるあまりの「一色性」(like-mindedness)というのがあると思います.外からは異様に見えるはずです.人々は,もし共産党が政権を取った場合,そのような「文化」を政府組織にも持ち込むのではないか,と直感するのだと思います.いかに口で「自由と民主主義を守る」と言っていても,行動パターンがそれにふさわしいものでなければ,人々はそれを信用することができないのだと思います.
議会に行って分かったことですが、一色性は、日本共産党の特質ではなく、議会の議案の採択状況で言えば、わがかつらぎ町の場合は、この23年間で議案を否決したのは、わずかに1件のみ。あとの議案に対し保守系議員のほとんどは、無条件に賛成しています。議会の保守系議員の内実をみると、そこには、日本共産党議員のような多様な意見はありません。
自民党は、かつて、派閥を構成し、派閥ごとにかなり見解の差がありました。これは、日本の地域社会の反映したような組織だったのではないかと思っています。地域には多様な意見が存在します。しかし、会議を開いて採択という段階になると、みんな不満を内に抱え込んでほとんど異議なしで賛成します。あたかも、会議では反対すべきでないというかのような傾向があります。地域社会では、公式の場で公然と異議を唱えるのは日本共産党だというような見方さえあります。
自民党が派閥に分裂しながら、緩やかに政党を構成していたことと比べて、日本共産党の一枚岩的な存在は、違和感をもって見られていました。しかし、会議の場で異議なしのまま通ることは、日常茶飯事、日本社会ではゴロゴロ転がっている現実だということをいいたいのです。むしろ、自民党のように派閥に分かれ、足並みがそろわない組織の方が少なかったのではないでしょうか。
日本共産党が、長い討論を経て綱領を採択して以後は、路線の違い、見解の違いによる意見の対立は、公式の会議の場では表明されなくなりました。そうなると、「大会決議案を支持し討論に参加する」ことが当たり前のような傾向が生まれるようになりました。しかし、これは、日本共産党の特質というよりも、日本人のもっている一般的な傾向ではないか、と思うのです。
自民党は、小選挙区制の「洗礼」を重ねる中で派閥が形を失いつつあり、自民党内に抱え込んでいた異論を排除するようになりました。特定秘密法、集団的自衛権、憲法改正などについて、自民党内には、反対の人もいると思われますが、その声や動きが表には出なくなって、特定秘密法では、わずか1人が造反するに留まるというような状態になりました。懐の深かった自民党が壊れる中で、往年の幹部だった方々が、公然と異を唱える事態になっています。このような事態がOBから生まれているのに、現役の自民党の国会議員には、こういう傾向が見られないところに、今の自民党の現実があります。
日本共産党のかつての幹部の方々は、党の大会決定、中央委員会決定の文書を、その言い回しも含めて大事にし、その言葉で論じるような傾向がものすごくありました。自分の論理の正しさを中央委員会の決定によって跡づけるとでもいうような傾向ですね。議員にもこういう傾向があり、質問に党大会決定や中央委員会決定の文章を引用するような状況もあったと思います。これでは、「日本共産党は、誰に聞いても同じようなことを言う」ということになってしまいます。
最近は、自分の言葉で自由闊達に語るということが、強調されるようになりました。自分の言葉で自由闊達に語るためには、自分の頭で考え、調べないと、自由に語るというようにはなりません。中央委員会の分析だけではなく、自分で調べたことも活用して語らないと、自由自在ということにはなりません。「そんな分析を中央委員会はしていない、それは正しいのか」なんていうような見方をしていては、何も生まれません。話のネタは、中央委員会が用意し、語り方は自由闊達にということは難しいということです。
不破さんや志位さんは、自分流に色々なデータを活用して国会質問や中央委員会報告を組み立てていますよね。同じようなことを自分自身でしないと自由闊達ということは生まれません。
科学的社会主義の理論は中央委員会が与えてくれ、党員はそれを活用するというような段階から、自分たちの目の前の現実を、自分たちの頭で分析するというように変わることが求められています。中央委員会決定や党大会決定の身につけ方は、文言や文章を覚えるのではなしに、論理の構成、語られている命題の内容、精神を深く学び自分の血肉にするということが大事だと思うのです。
問題の本質を解明し、展望を示す力は、県委員会にも地区委員会にも求められます。こういう理論的な力が身につかないと、本当の意味で国民にとけ込み信頼される党にはなりません。一色性という点でいえば、こういうところに問題があると思っています。