発展の芽は現実の中にある

雑感

地域包括支援センターについて、橋本市の生き生き長寿プランを読んでいると、包括的支援事業と指定介護予防事業という2つの事業の中で、とりわけ包括的支援事業、つまり総合相談支援機関としての役割がきわめて大切だということが分かってきた。
総合相談支援機関は、大きく2つに分類される。一つは住民に対する総合的な相談事業、もう一つは介護保険事業所とケアマネージャーなどに対する相談だ。
住民に対する総合相談は、住民の中にある個別的具体的な事柄に対して、親身になって相談にのり対応するということを意味している。この努力を積み重ねることによって、住民の実態を把握できる。この生々しい住民の実態に触れることによって、サービスの内容が充実し、対応すべき課題が鮮明になる。

介護保険の事業所とケアマネージャーの相談に乗る事業の意義は極めて大きい。この事業を通じて、地域包括支援センターは、文字どおり介護保険事業のセンター的な役割を果たすようになる。ケアマネージャーは、自分だけでは手に負えない困難な事例に直面していることがある。介護は、要介護者と介護サービスの提供者との間だけで成り立っているのではなくて、人間の全生活の中で介護サービスを提供しているところに特徴がある。家族関係などが介護サービスに絡まり合ってくるので、ケアマネージャーだけでは対処不可能なことが結構多い。そのときに地域包括支援センターが相談に乗り、総合的なサポートを行い、関係機関とも連携して問題を解決することによって、介護保険サービスの全体をかなり深く把握できる。

別のいい方をすれば、地域包括支援センターが深く広く実態を把握し、総合相談機関として機能すればするほど、信頼が高まるとともに、介護保険事業全体を把握できるようになるということだ。この役割を重視すれば、自ずから地域包括支援センターの重要性が見えてくる。

かつらぎ町も、果たすべき重要な役割を自覚して、地域包括支援センターを今以上に重視し、かつらぎ町の介護保険の軸として位置づけて、社会的に存在しているさまざまな機関と連携するようになってほしいと思う。今回の一般質問を通じて、ぼくはこういうことを把握することができた。ぜひとも、こういうことを再度把握し直して、地域包括支援センターを直営にということを検討していただきたい。

町長は、質問に対し「よく検討したい」と答弁した。わずか1時間の一般質問で明らかにできることは限られている。ぼくたち議員の提起は問題提起に過ぎない。本当に行政側に変化を起こすためには、提起された問題をきっかけにして、行政側が自主的に検討することが重要になる。質問を聞き流し、あらたな努力を始めない場合は、変化は起こらない。
質問準備のプロセスの中で、ぼくなどがつかみ取ったものを、行政自身が自主的自覚的に研究する中で把握しないと本物にはならない。

ぼくの嫌いな言葉に「意識改革」という言葉がある。この言葉は極めて抽象的であいまいだ。意識改革すべきだという場合、ほとんど何も語っていないに等しい。物事の重要性を把握し、現状をどう改善すれば、施策を発展させることができるのか。こういう問題意識を持って、対象に立ち向かわなければ、事態は変化しない。それは、意識改革ではなく、現状を具体的に変革するためのプロセスを見抜くということだ。
現実を分析し、現実と格闘し、その中から発展の芽を見抜き、事態を発展させるために汗をかく。
発展の芽は、現実の中にある。意識の中にはない。


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雑感

Posted by 東芝 弘明