苦しんでいる住民とともに

雑感,出来事

午前中、娘の面接があったので送っていった後、娘と2人で早めのランチを食べた。哲学の授業に関わって、哲学談義を重ねてきたので、娘との関係は良好だ。親馬鹿かなと思うが。娘も「仲いいやん」と言っていたので書いてもいいだろう。
午後、会議を途中で抜け出して、午後3時30分から行われた清水ただし衆議院議員と民主商工会との懇談会に出席させていただいた。清水さんの挨拶のあと、民主商工会の役員の方々から報告が行われ、そのあと地方議員としてかつらぎ町、橋本市、九度山町の日本共産党議員の発言が行われた。ぼくもかつらぎ町の議員として発言させてもらった。懇談は5時10分まで行われた。熱のこもった懇談になった。

新型コロナで苦しんでいるのは現場であり、そこと切り結んで努力している人々の姿には胸打たれるものがある。その声をくみ取って国会の活動に生かし、少しずつ事態を改善している清水さんたち国会議員の姿は頼もしい。白色申告の方々に対する持続化給付金の給付に道を開いたこの間の運動は、実際困っている商売人の方々の命と暮らしを守ってきた。次は家賃補助の給付がはじまる。こちらの方は、民間同士の契約方法が、千差万別で国に提出する資料が一律でないために、さまざまな問題が生じることが浮き彫りになった。

官から民へという言葉に魅力を感じた人はいるだろうか。郵政民営化が日本の官から民への象徴的な事件として小泉内閣のときに焦点になったが、それまでの国鉄民営化、電電公社の民営化などと比べてもすべてのたがを外すという点で、郵政民営化は一つの転換点になったと思われる。

その結果、持続化給付金も家賃補助も今は民間に委託されて事務が行われている。一言で言うなら、こんな仕組みを作ったから給付がうまく行かないのだ。持続化給付金は、竹中平蔵さんや電通の儲けになって、何重にも再委託されている中で、末端の事務処理の人々はアルバイトで、青色申告と白色申告の違いも分からない人々が、給付の事務処理を行って、個別案件への問い合わせに対しては「お答えできない」という形になっている。

かつらぎ町は10万円の特別定額給付金を会計年度任用職員を雇いつつ、町職員と一緒になって事務を実施し、最終的には、個別に訪問を行って給付の徹底を図った。その結果、和歌山県内で同率2位という給付水準に至った。その中で命を救ったと思われる事例も生まれている。1位が北山村の100%だ。かつらぎ町には、一人暮らしの方で数年前から行方不明になって尋ね人になっている方がいるので、100%給付は実現できいないところから出発している。そういう事情のもとで高い給付率を実現したのは、臨時職員を含む公務員である職員の努力、戸別訪問を行って給付すべきという態度を取った町長の判断にある思う。資料を渡して給付を民間に委託した大阪のある市では、とうてい到達できない給付率だと思われる。

官から民へという流れをすべて否定はしないし、ことによっては民間に委託した方がいいという提案も行ってきた。しかし、国民の基本的人権、権利に関わる問題のほとんどは、民間に委託すべきではない。こども園などを民間に委託する場合、直営の保育所を残して、実際の事務を手放さないで民間への委託と併用した自治体もあったが、民間委託を行う場合は、こういうことも考えるべきだろう。地方自治体とは何か、行政とは何かをコロナ対策の中で、もう一度原点に立ち返って考え直す必要があると思っている。

民商のみなさんは、住民の苦しんでいる現場で一緒になって努力を重ね、国の制度を適用できるよう努力をされている。「事件は会議室で起こっているんじゃない」という『踊る捜査線』の織田裕二の言葉を思い出した。現場で苦しんでいる住民にどう関わるのか。民商のみなさんが現場で努力していたことは、自治体職員も同じ。ここに地方自治の原点がある。ここから乖離した自治体は、自治体の精神を失っていく。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明