日本国憲法は私たちを包んでいる大気
昔確実に感じることのできた年末という感じが薄れてきている。
お正月に向かって慌ただしくなる、という感じは、正月という比較的長い休みに向って、1年間の締めくくりを行うという感じがあった。そうやって迎えた正月は、静かなものだった。街はひっそりとして、シャッターには、お正月の大きなポスターが貼られ、正月明けの営業再開日が書かれていた。
しかし、最近のお正月は、そこ、かしこのお店が開いており、買い物するのもそんなに困らないという感じがする。昨日と今日とが隔絶しないので、1月1日が新しい出発のための「お休み」というものではなくなっている。お正月にも、「昨日に続く今日」という感じがある。
日本人は、四季を鮮明に記憶の中に刻み込んで生きてきた。食べ物はいつも旬の物だった。それがいつの間にか、多くの食べ物が年がら年中手に入るようになり、季節と食べ物の関係が曖昧になった。気候も地球温暖化の影響なのか、春が短くなり、夏が長くなることによって、鮮明な印象を薄れさせている。秋の紅葉が、透明感のある赤や黄色を見せてくれなくなった。四季の変化に合わせて生きてきた日本人の生活習慣が、次第に変化して「風物詩」というものが意識から遠のいている。
子どもの頃の思い出と今の生活とを比べると変化してきたことに気がつく。言い替えれば、そういう風にしないと変化に気がつかない。
四季の変化が鮮明でなくなり社会のあり方が日常の連続のようになったことによって、失われたものは大きい。人間の心は、自然や社会のあり方、身の回りの物によって、深く形づくられており、自分の意識の外にある「世界」の変化によって、無意識のうちに変化していく。無意識のうちに変化する心の有り様には、ほとんどの人が気付かない。
さて、2015年。
原発事故によって原発の中に隠されていた真実に目覚めた人々の多くは、次第に政府の嘘について、それを見抜く力を蓄えてきた。特定秘密保護法と安保関連法制の強行劇に直面して、目覚めた人々は原発事故の運動を上回る規模で政府に反対の声を上げ始めた。これらの運動は、単に反対のための反対運動ではなくなりつつある。安全保障法制が戦争法であることを見抜いた人々は、憲法を守れという旗を掲げ、安倍政権を打ち倒して新しい政権を作ろうという方向に動き始めている。これは反対を突き抜けて、新しいものを生み出す運動へとつながりつつある。
2015年、政治の季節は、変化する日本のあり方に根本的な危機感を抱いた人々によって鮮明に把握された年になった。
それでも、まだ多くの人々は、自分たちの生活が根底から脅かされつつあることに思い至っていない。
自民党と安倍政権は、あからさまにマスメディアの報道の仕方を批判し攻撃するようになった。「偏向している」という批判は、政府批判を行う報道に対して向けられている。政府の言い分を批判なしに取りあげるマスメディアの報道には、偏向しているという目は向けられていない。このような状況の中で政府から聞こえて来ているのは、「共謀罪」と「憲法における非常事態宣言」だ。
安倍政権の過激な手法に対して、賛意を表明する人も増えてきている。安倍政権は、右翼的な世論を組織しつつ、攻撃的になる人々を鼓舞しながら言論への統制と基本的人権の破壊をめざして暴走している。
立憲主義を守れ、という運動、憲法と憲法9条を守れという運動は、炭鉱労働者が自分たちの生命を守るために使っていた「カナリヤ」に等しい。この運動が政府の危険性に警鐘を鳴らしている。このカナリヤの鳴き声がどれだけ国民の心に響くのか。私たちがどれだけ自分たちの生活に忍び寄っている危機を伝えられるのか。ここに日本の未来がかかっている。
地方自治体の多くは、国の動きに対し反旗を翻さないで追随している。国民の生命と財産を守り住民の福祉を守るべき地方自治体の多くは、戦争法に対しても、意見表明することなく、黙って成り行きを見守っている。戦前の市町村や町内会は、隣組という組織まで作らされて国民を相互に監視させた。戦争反対の運動をしている人々は重大な犯罪者、非国民として、国民の手によって摘発され、逮捕され、拷問された。
戦後、国民主権が確立した。国民主権を実現する最大の場所の一つは地方自治体だろう。この地方自治体が、政府に対し意見を言わずして、地方自治体としての責任を果たせるのか。事態はもうすぐそういうところまで突き進む可能性がある。
沖縄県の運動に対する政府のとっている態度は、地方自治体にとって対岸の火事ではない。安倍政権は、地元の自治区に対し都道府県を飛び越えて基地建設の協力金としか考えられない交付金を渡そうとしている。基地建設に協力しなければ、振興予算を削減するということも行っている。基地建設反対の運動を抑え込むために、警視庁の機動隊が沖縄に派遣され住民の反対運動を抑える動きを強めている。政府に地方自治体が反対したら、現政府はありとあらゆる方法を活用して地方自治体の分断と破壊を組織するという事態になっている。いま、沖縄で展開されている政府の態度は、反対する者は絶対に許さないというものに他ならない。これら一連の政府の行為は、法治国家がすべき域を遙かに超えている。
原発に対する態度も同じ。来年度は原発再稼働を推進する自治体には交付金を増額して交付する予算が組まれようとしている。
政府のこのような態度は、戦争法に地方自治体が反対して運動したら、弾圧してくるという事態に直結するものだろう。「立憲主義を守れ」と言って立ち上がっている人々は、このような時代の動きを把握して、「戦争反対」を唱えている。このカナリヤの声にこそ耳を傾けてほしい。
年末、集金をしながら戦争法廃止の2000万署名をお願いした。声を上げる、意思を表明するということのできる時代に私たちは生きている。国民主権の時代。この時代が窒息させられたら、その先には戦争が地獄の釜のように口を開いて待っている。
「生活が大事、そんな難しいことは分からない」
そう思っている人も多いだろう。
自分の日常生活の中にいたら見えないことも多い。目の前の見えることだけ見ていたら、自分の立っている足場さえひっくり返される。歴史はそのことを教えている。満州事変が起こったとき、国民は歓喜に沸いた。それから15年後、310万人の日本人が戦争や空襲で死に、日本軍の手によってアジア諸国民2000万人が命を奪われた。遠い大陸での戦争が、自分たちの生活の根底まで破壊した。一家の大黒柱を戦争で失った人々が味わった戦後の困難。この歴史を学べば、今すべき事は見えてくる。
私たちを取り巻いている空気さえ目に見えない。私たちを生かしてくれている多くの存在さえ目に見えないものの方が多い。地球に大気という層があることによって、人間は宇宙からの放射線や紫外線から守られ、酸素の供給を受けている。大気というものがなくなったら、人間は瞬時に死んでしまう。日本国憲法は、日常生活においては空気のような存在だ。普段はあることすら意識しない。しかし、日本国憲法という規範があることによって、全ての法律が成り立っている。憲法を遵守する政府が文字通り誕生したら、長い時間がかかるだろうが、憲法違反の法律は是正される。国民の暮らしを守る役割を果たしている法律や制度の中に日本国憲法が宿っている。
安倍政権はこの空気を作り変えようとしている。「天賦人権説を止める」と片山さつきさんは自民党の憲法改正草案を説明した。基本的人権は永久不変の権利というものを破壊する言葉だった。憲法という私たちを守っている大気を破壊してはならない。
カナリヤの声よ、天まで届け。2015年。たたかいの中から生まれた希望。来年はこの運動をさらに大きく。
いつもの偏った思想的内容ですが・・・
>満州事変が起こったとき、国民は歓喜に沸いた。それから15年後、310万人の日本人が戦争や空襲で死に、日本軍の手によってアジア諸国民2000万人が命を奪われた。
2000万人?・・・さすがになぁ~間違いなので・・はい。
それと、何度も何度も以前から指摘しているんだけど、東芝さんに誤魔化されている。(消費税と税収の問題もそうだけど・・)
日本国憲法は、自衛隊発足時点でで既に守られていない。東芝さんも自衛隊は違憲の軍隊だと認めているでしょう?つまり、「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」が正解です。つまり日本国憲法が、平和に貢献しているのではなく、日本国民の意識が平和に貢献している。
安保法制も憲法違反であるが、いままで違憲状態で50年以上平和だったんだから、国民の意識さえ変化しなければ、これからも平和が続くでしょう。
東芝さん、前に認めたでしょう?「自衛隊は違憲の軍隊」だとね。つまり違憲状態で50年以上平和が続いているということを認めたことですよ。もっと突っ込めば、憲法を守らなくても平和が続いていることも認めている。
現状の日本を表現すると、憲法は現状の日本の状態を正確に表していない。すみやかに改正すべきということです。
東芝さんのロジックは間違っていますよ。
明けましておめでとうございます。コメントが遅くなりました。
今年もよろしくお願いいたします。
アジア諸国民2000万人の死者というのは、高校の教科書にも記載されている記述です。
トリノさんは、安保関連法案がどのような背景で提出され、可決されたのかを調べていないですよね。多くの人々は、立憲主義が破壊されて、個人の尊厳が国家の力によって破壊されている事態の下で、戦争法の廃止、立憲主義の回復、個人の尊厳を守れと言い、立ち上がりつつあります。このような状況がなぜ起こっているのかをぜひ調べて下さい。
そうすれば、「安保法制も憲法違反であるが、いままで違憲状態で50年以上平和だったんだから、国民の意識さえ変化しなければ、これからも平和が続くでしょう。」というようなことは、書けないと思います。日本がアメリカの戦争に参加せよという命令に唯々諾々と従っていくなかで、日本におけるテロの発生が危機感をもって語られています。
こういう情勢下では、立場の違いを超えて戦争法廃止をとなえる必要があると思います。
今日本で具体的に何が起こってるのかを、ぜひ知っていただきたいと思います。
トリノさんは、どうも社会に存在する矛盾について、かなり平面的な見方をしているような感じがします。自衛隊は憲法違反ですが、だからといって憲法9条の全条項がないがしろにされてきた訳ではありません。自衛隊は、本質的には軍隊ですが、憲法9条があるので、軍隊だとは規定できず軍事行動を自衛隊の側から起こすことはできませんでした。専守防衛という大原則は、日本が他国から侵略を受けたときには、自衛隊による反撃は憲法9条の規定から言っても許されるということで、守られてきたということです。自衛隊が海外に出て活動したときにも、絶対に戦闘には加わらない、非戦闘地域での活動に限定されるとしてきたのも、憲法9条との関係でした。自衛隊は、違憲状態でありながらも、憲法9条に縛られているということです。矛盾した状態であるけれど、それが併存しているということです。
トリノさんの「『日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。』が正解です。」という規定は、ものすごく平面的であり事実と合致していません。
自分たちの意識の外にある矛盾というものは、矛盾しつつも同時に存在しているという状態にあるものが多々あります。物質によっては、相反するものが1つのものを形成し、反発しあいながらも依存し合っている状態にあるものもあります。対立物は統一しつつ、同時に矛盾して存在しているということです。
自衛隊の存在は、憲法を踏み破りながらも、憲法に縛られてきたということです。矛盾にはこういう状態があることを認めないと、自分の意識の外にある客観的な事物を事実に即して把握することはできません。
2,000万人というのは、第二次世界大戦の死者数じゃないですか?アジアより欧州の方が遥かに死者数が多いので・・・・アジア2,000万人も死者が・・・常識的に考えて分かると思うけど・・笑。
>自衛隊の存在は、憲法を踏み破りながらも、憲法に縛られてきたということです。矛盾にはこういう状態があることを認めないと、自分の意識の外にある客観的な事物を事実に即して把握することはできません。
こういう考えは政治家として非常に危険な考えです。憲法違反の許せる範囲を勝手に規定している。つまり法律違反を思想的に許すものと、許さないものに分別したことになる。
日本共産党が政権を取った場合、法律を無視する可能性を示唆するものです。
もう一度聞きます。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」は、自衛隊の存在と矛盾するでしよう?
ちなみに、自民党の考えは似て非なるものですよ。自衛隊は合憲としているので憲法違反ではない。つまり法治国家の基本は維持している。さらに自民党は確信犯なので、自衛隊は憲法違反ということはわかっているが憲法違反とすると自衛隊を無くさなければいけないので合憲とうわべだけの主張。憲法改正してその違憲状態を是正する。
東芝場合、論理的に矛盾があり憲法違反を容認するような箇所がある。
>自衛隊は憲法違反ですが、だからといって憲法9条の全条項がないがしろにされてきた訳ではありません。
?????憲法違反容認。法治国家の基本から外れている。
基本的人権も憲法の全条項がないがしろにされたわけじゃないのなら、一部違反もいいのでしょうか?
自民党は法治国家の基本を守った論理展開をしている。
東芝さんの場合、法治国家の基本から外れている。
トリノさんは、現実に存在している矛盾をどうも理解できないようですね。
自衛隊は、憲法違反の軍隊です。ここに本質があります。しかし、このことを政権党が認めると自衛隊を廃止する必要が生じるので、軍隊ではないと言っています。本質的には軍隊である自衛隊を、軍隊ではないと言い、同時に行動においても憲法9条に違反しない形で運営するしかなかった、というのが自衛隊の歴史です。戦力は保持しない、交戦権は認めないという規定には違反していません、と主張してきた歴代自民党は、本質的に違憲である自衛隊を合憲的存在として扱うしかなかった、ということです。憲法違反を犯しながら、憲法9条を同時に守る必要があった。ここに矛盾があるということです。現実の世界の中には、矛盾しつつ存在している物がたくさんあります。自衛隊と憲法の関係も矛盾しつつ存在しているという関係にあります。
磁石のNとS。反発し合う力が磁石の中に存在しています。人間の細胞の生と死。生成と死滅とが不可分一体のものとして生物の中に存在しています。生成と消滅をたえず繰り返すことが生物の存在の仕方です。1つのものの中にある相反する2つの傾向。これが物質の存在の仕方です。自衛隊は、人間の社会の中で作られたものですが、最高法規の憲法が、憲法違反を認めないというものですから、存続させようと思えば、どうしても内部に矛盾を抱えざるをえなくなります。ぼくが言っているのは、そういうことです。
要するに簡単に書けば、
「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」が正解です。つまり日本国憲法が、平和に貢献しているのではなく、日本国民の意識が平和に貢献している。
ということです。
それと東芝さんの認識に、軍隊は必要か?という国家存亡の重要議題に対する認識が欠けている。「憲法を守って、国を守らず」それが東芝さんの政治です。
自衛隊は必要ですか?不要ですか?・・・・不要と言われると仕方ないです。それまでで話にならない。が・・僕は違います。自衛隊(日本軍)は必要だと思います。だから日本国憲法は間違っているので修正すべきだと思います。
簡単なことですよ。人間というか個人としての世界に対する見方が違うだけですよ。
自然科学に造詣が深いと思われるトリノさんが、客観的な世界に存在している矛盾について、理解してもらえないのは残念ですね。自衛隊は、結局は日本国憲法第9条に縛られており、日本国憲法は生きて日本国民を戦争に巻き込まれないように機能してきたということです。
「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」
というのは、トリノさんの言い分だということですね。こういうような解釈をしている人は、ほとんどいないと思われます。
集団的自衛権行使容認以前の法解釈は以下のとおりです。
日本政府は、憲法違反の軍隊である自衛隊を持ちながらも、結局は憲法9条に手を縛られ、アメリカの戦争にも参加しなかったし海外での武力行使もしなかった。それは、戦力を保持しない、交戦権はこれを認めないという憲法9条2項の規定にしばられたものだった。ここから導き出された集団的自衛権行使は憲法違反という見解は、憲法9条がある限り変えることはできなかった。それを安倍政権は、解釈の変更によって変えてしまった。しかし、この解釈改憲は全く説明に値しないものだった。憲法解釈からはどうしても導き出せない解釈が、集団的自衛権行使容認だった、ということです。
憲法解釈を変えたいのであれば、解釈改憲ではなく憲法改正をおこなうべき、というのが、当たり前の指摘だと思います。
しかし、安倍政権をして憲法9条を他の条文に替えるということは、すぐにはできないということです。憲法9条を変えるために緊急事態条項の導入を持ち出しました。この条項を憲法に持ち込んで、クーデター的な手法で独裁国家を作ろうとしているということです。このような動きを見られないのは、政治の動きを意図的に正面から見ないということだと思います。
国民主権と基本的人権、個人の尊厳が踏みにじられようとしているときに、強権的な権力の動きをまともに見ないということは、どういうことでしょうか。安倍政権に追随していると、自分たちの権利や尊厳が破壊されてしまうことを知っていただきたいと切に思います。
2000万人のアジア諸国民が第2次世界大戦で死亡したという話は、戦後、戦争を総括する過程の中で各国が明らかにした死者の数値をもとに集計されたものです。戦後70年が経って自明のことが疑問に思われているだけのお話しですね。調べてみれば、これらのことがらは分かることだと思います。ネット上にも各国の死者数が記載されているので、お調べください。
なお、中国の死者については、比較的少ない人数が採用されています。1200万人という人数です。
後になってもっと大きな人数の発表もありましたが、日本の歴史教科書は、それより以前に発表された1200万人という数値でおさえられています。
第2次世界大戦は、5000万人以上の死者を出した戦争であり、日本が引きおこしたアジアなどにおける戦争では2000万人の人々が命を失ったということです。
自衛隊は違憲の軍隊と認めたのでしょう?・・・憲法9条に縛られる?意味不明です。憲法9条を50年以上前から日本は守っていないというのが事実です。
「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」が正しい。
憲法が平和を守るわけないですよ。その時の世界情勢や国民の意識が平和を守るのですよ。ただ、世界情勢の激変で、どうしても戦争になることがあるのも事実です。
僕は、「憲法が平和を守る」と考えようなバカではありません。
>2000万人のアジア諸国民が第2次世界大戦で死亡したという話は、戦後、戦争を総括する過程の中で各国が明らかにした死者の数値をもとに集計されたものです。
あらら・・教科書に書いているのでは?それと東芝さんが主張した「日中共同研究」と内容が違います。外務省のHP見たのでしょうか?僕は読みましたが・・笑。
まあ~政治家の人は都合のいい内容だけをつまみ食いするので、当然と言えば当然ですが・・・僕は事実を求めるタイプなので、東芝さんの主張を否定します。
2000万人の犠牲者のソースは、各国の発表、教科書はそれに基づいて記述したということです。調べてみてください。
自衛隊は、違憲の軍隊ですが、憲法9条に縛られているのも事実です。これを意味不明だというのがよく分かりません。日本国憲法を守る義務があるのは、第九十九条に規定された人々です。すなわち「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」となっています。この規定によって、憲法が権力から国民の権利を守ることができるようになっています。憲法を守る必要のある権力者の手を縛ることによって、国民の権利が保障されているということです。
この立憲主義の基本が踏み破られたら、日本国民の権利や個人の尊厳が守れなくなります。「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」という問題の立て方は、残念ながら立憲主義を理解していないトリノさん独特の規定ですね。国民が憲法を守る運動をすることに深い意味があるのは、護憲運動が権力の手を縛る運動になるからです。もちろん、国民が平和を求める意識と運動が、平和を維持する力になってきました。国民の運動と拳法の役割、両方を見ていただけたらと思います。
毎度ながらお2人の議論は非常に勉強になります。
しかし、私が思うに東芝さんはトリノさんの指摘箇所に
公然と矛盾した回答をしていらっしゃるのは?
1.自衛隊は違憲である→Yes
2.共産党は自衛隊の活用は認めている→Yes
3.憲法9条は守られたので平和だ→Yes
憲法解釈に細胞の生と死とか言い出したら
もう詰みかと思いますよ。
ワタナベさん、東芝さんは自分の論理に穴があることに気づいていないのですよ。思想的主張が強く、理由を後付けするものだからおかしなことになるのです。憲法が大事なのか、日本国が大事なのか、それすら理解できていない。
「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」というのは、僕が主張しているのではなく、東芝さんの主張ですよ。自衛隊は違憲である。平和が続いている。・・・「自衛隊の違憲状態が50年以上続いている。その間は平和であった。」
すべて同義語です。
それと憲法9条の趣旨ですが簡単に書くと、「武力を持って紛争を解決しない。また武力を使用しないのだから、兵力も持たない。」そういう趣旨です。
ただこれは欠陥的な問題を抱えた法律です。確かに侵略する側にならなければ問題ないですが、侵略される側になると不具合が生じる。
例えば、現実に東南アジアでも発生していますが、中国が尖閣諸島問題を自国の領土といって占領したとします。そうすると「武力で解決しない」と憲法に書いてあるので交渉しかできない。まあ~解決しませんが・・笑。ただそうなると今度は、ロシアが北海道は自国の領土言い出す可能性がある。・・・武力で解決できない日本は何もできない。現にロシアはクリミア半島を手に入れた。さらにアメリカ軍がなければ日本消滅の危機になる。
間違った法律である憲法9条を擁護する連中は、バカの集団です。
自衛隊は、違憲の軍隊という点では、憲法9条に違反していますが、同時に憲法9条の規定に縛られて存在してきたということです。
>「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」というのは、僕が主張>しているのではなく、東芝さんの主張ですよ。自衛隊は違憲である。平和が続いている。・・・「自>衛隊の違憲状態が50年以上続いている。その間は平和であった。」
>すべて同義語です。
そういう主張をぼくはしていません。ぼくが書いたことを、上記のようにしか理解できないところに深みのない機械的な理解の仕方があると思います。
自衛隊が違憲状態であることと日本が平和であることとの間には、必然的な因果関係はありません。
自衛隊は違憲状態にあったが、憲法9条に縛られていたので、軍隊として海外に派遣されても武力の行使はできなかった。こういう関係にあったので日本はアメリカの戦争に巻き込まれなかった。だから日本は平和を維持してきた。ということです。間が随分抜けています。
トリノさんが指摘する
>思想的主張が強く、理由を後付けするものだからおかしなことになるのです。
ココに尽きると思います。解釈が強引過ぎまると感じますね。
東芝さんは、共産党議員を名乗っているブログなので党の方針から
逸脱した事は書けないご苦労はあると思いますが・・・・
根本は、違憲だと言い続けた自衛隊を2000年に容認した
所に根源があると思います。
それって周りから見たら自己矛盾の塊だもの。
自衛隊=本質的には軍隊
しかし、自衛隊=軍隊だと規定できない。
なぜか。すべては憲法9条の規定にその理由がある。
ワタナベさん。ここに問題の核心があります。詳しくは、トリノさんに書いたことを吟味してみてください。
この矛盾した存在である自衛隊をどう取り扱うか。日本共産党の自衛隊論は、このことを具体的に考えて明らかにしたものです。
東芝さん
>自衛隊は、違憲の軍隊という点では、憲法9条に違反していますが、同時に憲法9条の規定に縛られて存在してきたということです。
憲法9条の規定とは何ですか?自衛隊が憲法で規定されているなら違憲ではないですよ。合憲です。無茶苦茶ですよ。憲法に自衛隊の規定がないから、政権は憲法改正しようとしているのであって、憲法に自衛隊の規定があれば改憲の必要はないですよ。
東芝さんの思想の世界に入ろうとは思いません。純粋なる法治国家としての基本を論戦しているのです。
一つ聞きたいですが、憲法9条は簡単にいうと何と書いているのですか?訳の分からない長文はやめていただきたい。簡単に30文字程度でお願いします。
僕が簡単にすると、
「武力を持って紛争を解決しない。武力を使用しないのだから兵力も持たない。」
東芝さんが憲法9条を読むと、普通の人にはわからない謎のメッセージを読めるのかも・・・笑。
自衛隊が矛盾した状態にあるのは、多くの人が認めていると思います。
自民党の取っている態度は、以下のとおり。
自衛隊は軍隊でない。
だから軍隊だとは言わない。
軍隊でないから、違憲ではない。つまり9条のいう戦力ではない。
戦力ではない自衛隊は、海外で武力攻撃できない。つまり集団的自衛権の行使はできない。
できるのは、他国が日本に攻めてきたときに自国を防衛するために反撃すること。
これが、自衛隊についての説明です。
この説明は、外国から見たら意味不明の部分がある。
世界的に見れば、自衛隊は軍隊そのもの。しかもかなりのハイレベルにある。
自衛隊は軍隊。ここに自衛隊の本質があります。
この本質的には軍隊だが、軍隊ではないと規定しないと存在できないというところに、自衛隊の抱えている矛盾があります。しかし、この矛盾ゆえに自衛隊は、海外に出て行っても武力を行使しなかったし、行使できなかったということです。すべては、憲法9条に規定されて武力行使できなかったということです。
この日本の特殊な状態を理解しないと自衛隊問題は理解できません。
何度も書きますが、東芝さんの書いた内容を要約すると、
①自衛隊の存在は、憲法9条と矛盾している。(違憲状態)
②自衛隊は50年以上前から存在する。
③自衛隊は憲法9条に規定されて武力行使できないので戦争がなかった。????
①~③をまとめると「日本国民は、日本国憲法を守らない状態で50年以上平和を維持している。」と同じです。
ただ、③については、政府の見解ではなく東芝さんの見解であり、憲法9条に存在すら認められていない「陸海空の戦力」がどうして規定させるのか・・・呆れてものも言えない見解です。
自衛隊が問題ではなく、憲法9条に問題があるのは明らかでありすみやかに改憲すべきです。平和に憲法9条はなんの役にも立っていない。
>自衛隊が矛盾した状態にあるのは、多くの人が認めていると思います。
その通りです。憲法9条に問題があるは明らかです。
安保法制反対も・・・憲法9条すらろくに読まない馬鹿連中の反対にしか過ぎない。
トリノさん、議論をするのであれば、自衛隊の何が問題なのかぐらい調べてから書くべきではないでしょうか。
③自衛隊は憲法9条に規定されて武力行使できないので戦争がなかった。
というのは、自民党の一貫した見解でした。だから集団的自衛権は日本国憲法9条がある限り行使できないということでした。③の見解は、日本共産党の見解ではなく政府見解でした。この見解を理解できない原因は、どこにあるのか。
それは、トリノさんの文章に表れています。
「自衛隊が問題ではなく、憲法9条に問題があるのは明らかでありすみやかに改憲すべきです。平和に憲法9条はなんの役にも立っていない。」
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
自民党であってもこの憲法の規定を守らなければなりません。立憲主義とは、権力者が憲法を守る義務があること、98条の規定がある限り憲法違反を犯せないこと、国民の平和的生存権や基本的人権の保障、幸福追求権を保障している憲法を権力者が守る義務があること、によって成立しています。
憲法とは何なのかを理解しないで、憲法論議や自衛隊論議はできません。
議論がかみ合わないのは、日本国憲法とは何かを理解しようとしないところに問題があると思います。
自衛隊は何かを指摘しているのではありません。また日本国政府の見解を聞いているのでもありません。
東芝さんの論理的矛盾を指摘しているのです。ある時は「自衛隊は違憲」だと主張し、またある時は「自衛隊は憲法に規制されている。(合憲)」だと主張している矛盾を追究しているのです。
ここでも最初からのコメントで、東芝さんは「自衛隊は憲法に規制されている。」と書いているでしょう?
>自衛隊は、違憲の軍隊という点では、憲法9条に違反していますが、同時に憲法9条の規定に縛られて存在してきたということです。
自衛隊は違憲だが合憲である。という矛盾を指摘しているのですよ。
自民党は自衛隊が合憲なので矛盾がありません。
問題なのは東芝さんの論理。
自衛隊の現実の存在をリアルに表現しようと思えば、矛盾した表現になるということです。言葉遊びをしているのではありません。トリノさんはただ単に言葉遊びをしているのではないですか。
自衛隊という存在が、憲法との規定で矛盾を抱えているということです。
この具体的な矛盾を言葉で表現すれば、どうしても形容矛盾が発生します。現実の存在が矛盾を抱えているので、形容矛盾が発生するということです。
自衛隊=本質的には軍隊
憲法9条によって軍隊は持てない
だから自衛隊=軍隊でないと言わなければならない
自衛隊は軍隊でないから、海外での戦闘には参加できない
この関係をどうやって打ち破るのか。
憲法改正しかあり得ない、
これが歴代自民党の見解でした。
しかし、自民党の中には、現状のままでいい、という国会議員がたくさんいました。
安倍政権は、憲法改正ではなく戦争法を制定して、現行憲法下でも自衛隊が海外で戦争に参加できる、集団的自衛権も行使できる、としてしまいました。
現実問題として、自衛隊を軍隊として海外に派兵し、アメリカの戦争に荷担させようとしています。
本質的には軍隊である自衛隊が、文字通り軍隊として戦争に参加する危険が高まっています。
自衛隊が矛盾した存在ではありません。憲法9条が矛盾した文章なのです。考え方が逆です。
おまけに東芝さんが、自衛隊と憲法は現状のままでいいと考えるなら政治家として失格です。「最高法規が曖昧のままでいいの?」つまり基本的人権もあいまいということです。法治国家の基本が理解できたいない。
本当の政治家なら、憲法改正か?自衛隊廃止?・・どちらかを目指すべきです。
ただ、自衛隊廃止を目指す奴はバカそのものなので、憲法改正を目指すべきです。
東芝さんの論理に整合性が全くなく、単に批判しているだけです。
トリノさんは、現代憲法の原則をご存じない。
「自衛隊が矛盾した存在ではありません。憲法9条が矛盾した文章なのです。考え方が逆です。」
という考え方は、
「第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」
という規定を明確に否定するものです。
圧倒的多数の憲法学者、多くの裁判官が戦争法に反対し、廃止を求めているのは、戦争法が第98条の規定に違反しているからです。