支部が主役とコンピューター

雑感

今日は、朝から夕方まで会議があった。日本共産党員をかなり増やしている地域が、さまざまな運動と選挙への挑戦という形になって、非常に意気盛んに決意を表明した。
日本共産党は、本気で日本の社会を民主的に変えようとしている政党だと思っている。
日本共産党は、民主主義的中央集権制という組織体制を採用している。議論は徹底的に民主的に。方針に団結して政党として国民に責任を持って活動すると言うことで、民主主義と方針の統一という原則を持っている。中央集権という言葉は、いかにもいかつい。でも、議論を民主的に尽くして、方針が決定したら力を合わせて実行するということだから、決めた方針は、みんなで守るということにすぎない。

近年は、下級は上級に従いというような方法ではなくて、中央委員会も都道府県委員会も地区委員会も、支部も、自分の頭で考えて責任を持って、自らの守備範囲については、決定を行うということを推進している。
中央委員会というメインコンピューターが、すべてのことについて判断を下し、すべてがそれに従うということではなくて、職場・地域・学園、市町村、都道府県という責任を持っている部署で党の組織が自主的に判断し行動するということを重視している。もちろん国民に対して責任を負う政党なので、全国方針は中央委員会で決定し、この方針を導きの糸として活動している。しかし、この中央委員会が決定する方針は、都道府県・市町村、職場・地域・学園で生起するすべての問題について解答を与えていない。そんなことは不可能である。
イメージとしては、党中央のメインコンピューターとネットワークでつながる各コンピューター端末という関係にある。サーバーは中央委員会、都道府県委員会、各地区委員会、各支部にある。もちろんサーバーの大きさや機能には大きな違いがあるけれど、責任のある部署で、各党組織が責任を持って判断し、具体化するための独自の頭脳を持っているということだ。
責任を持っている部署で、自分の頭で考え決定し、行動する組織がいちばん強い。組織と組織はネットワークで結ばれる。

コンビニエンスストアの中には、中央の司令塔がすべてを管理しているようなところがある。このうような組織形態は、確かに合理的だが、お客さんに接しているお店の所で自主性と自発性がない。こういう組織は脆い。観察しているとこのような組織運営になっているお店はよくつぶれている。お店のオーナーの魂まで吸い取るような方法で、しかもロイヤリティーが高い場合、オーナーが体を壊して、撤退することが多い。
同じコンビニでも、オーナーに一定の裁量権を与えて、商品開発や地元の商品販売を許している所もある。こういう組織の方が強い。

日本共産党も、党に対する弾圧が強かった時代は、中央委員会の方針に従って動き、下級になればなるほど上級機関に従うような組織運営をしていた。しかし、この方法では、本当の意味で強い党組織は作れない。日本共産党は、10年ほど前から支部が主役の党活動を追求し始めた。これは、自らの頭で考え行動する党組織への発展を生み出す努力だった。
民主主義は、一人ひとりの構成員の自発性や主体性を大切にし、一人ひとりの意見を尊重する。たとえその人の意見が、議論によって、否定されたとしても、十分尊重されて議論を尽くせば、その人の意見は死なない。提案された意見は、さまざまな角度から検討されれば、たとえ結論が変化したとしても、提案された意見は形を変えて生きることになる。
このような組織運営が組織の中で行われるようになるためには、かなりの時間がかかる。
日本社会の姿を見ていると、個人の意見が尊重されて組織の運営に柔軟に生かされるというような組織というのは、まだほとんど存在しない。提案したことが、異議なしで通っているようにみえても、異論が水面下に渦巻いていたり、不満が蓄積している組織は多い。
日本共産党が、現在努力している方向は、民主主義的な組織運営とは、どういうものかを支部が主役、党員が主役という言葉で実行しようとするものだ。ぼくは、会議の持ち方でいえば、ファシリテーターによる会議の運営を日本共産党も取り入れるべきだと考えている。民主的な会議のあり方はファシリテーション、民主的な組織運営という点ではマネジメントの考え方が大事になる。

新しい社会は、個人の発展が組織と社会の発展につながるような社会になる。しかし、このような社会はおいそれとは実現しない。日本共産党は、党の幹部は、ただ単に役割分担であって、身分を表すものではないとして、重要な役職に就いていた人間も、やがては支部に帰り、支部の一員として活動することになる。県委員長、地区委員長という長という役職についていても最終的には一党員にもどることになる。社会の中に存在する組織のあり方は、社会に沿うということなのかも知れない。
社会はすでにこのようになっている。町長が引退すれば、一町民に戻る。区長が引退すれば区民に戻る。

このようなとらえ方が、社会全体に広がるのは、非常に長い時間がかかる。社会全体が民主的な世の中に変わったとしても、このような旧社会の人間関係はなかなか変わらない。組織の中の役割が身分的な色合いを帯びないというのは、徐々に実現すると思われる。現在、日本にある多くの組織は、上司に決定権があり、部下はそれに従うというものだ。この決定権の違いが、あたかも身分の違いであるかのような立ち居振る舞いがある。人間は皆平等ということであるのに、多くの組織は、封建時代とあまり変わらない傾向の中にある。この権限の違いが、圧力になって組織を動かす、そうしなければ組織は動かないということなのかも知れない。

日本共産党が、現在組織運営上、実現しようとしている努力方向は、日本社会の中でもかなり新しい試みではないだろうか。

雑感

Posted by 東芝 弘明