日本航空123便墜落事故から40年

雑感

1985年8月12日、羽田空港から大阪の伊丹空港へ向かっていた日本航空123便(ボーイング747型機)が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故のことは忘れられない。

事故の概要は以下のとおりだった。
発生日時: 1985年8月12日午後6時56分
事故機: 日本航空123便(ボーイング747型機)
犠牲者: 乗客・乗員524人のうち、520人が死亡。生存者はわずか4人。

事故の原因はこうまとめられている。
事故の原因は、機体の後部にある圧力隔壁の破損と、それによって引き起こされた垂直尾翼の脱落だった。(以上AI「ジェミニ」による情報)

8月12日という日は、ぼくにとっては特別の日だった。この事故から2週間後ぐらいだったろうか。同級生と東渋田の交差点でばったり会って、この事件についての長い話になったことも鮮明に覚えている。当時、赤旗がこの事件を克明に追いかけていたので、ぼくは毎日、この事件の記事を食い入るように見ていた。
あれから40年も経った。

当時群馬県を含む横田空域は、アメリカが制空権をもっており、在日米軍は、かなり早く御巣鷹山に旅客機が墜落していたことを米軍のヘリコプターで、現場も確認できていたという情報がある。この情報は、いち早く日本側に伝えられていたにもかかわらず、日本側はこれを採用せず、場所の特定さえ誤報もあって難航し、日本が対応できたのは、事件の次の日の8月13日、午前4時39分頃だった。発見したのは、航空自衛隊のヘリコプターであり、このヘリは上空から炎を確認し、墜落場所を特定したということだ。

日本の主権と在日米軍の権限の問題は、いまもずっと続いている。日本には一般の外国人に対する特権などはないが、在日米軍ファーストになっている問題は、数多く存在する。日航ジャンボ墜落事件という日本最大の日本の航空事故にさえ、この問題が横たわっている。

雑感

Posted by 東芝 弘明