支配者が圧倒的多数の国民を支配している国、日本
メディアリテラシーについて書いたが、一番根本的な前提問題を書かなかったことに気がついた。
それは、日本社会が階級と階級に分裂し、一握りの階級が、圧倒的多数の国民を支配しているということだ。
日本の資本主義社会の中で、最も多い経済的な関係は、資本に雇用された労働者というものだ。
働く労働者は、封建的な身分制度から自由になるとともに、生産手段を自分ではもっていないので、自分の労働力を商品にして、資本家に販売しなければ生きていけない人々だ。
資本主義社会は、封建時代と同じように、圧倒的多数の国民は搾取されつつ生きている。
封建時代は、農産物を年貢として供出することが義務づけられていた。現代は、こういう形では搾取は存在していない。しかし、労働者が8時間働いて賃金を得るというこの過程の中に搾取は存在している。しかも、封建時代よりも搾取率は高い。
資本主義社会は、それまでの時代と比較すると生産力を飛躍的に発展させてきた。機械制大工業によって。商品生産における富の源泉は、生産の過程によって生まれる。しかし、商品の価値を実現するのは流通過程での交換(販売)による。富の源泉は、労働力商品の消費(商品の生産)にある。
資本の側は、労働者が生み出した剰余労働によって、巨大な富を蓄積し、この内の一部を政治の買収に使用して、政治にものすごく大きな影響を与え、資本の側に都合のいい法律や社会制度を大量に生み出している。
日本の場合、アメリカと日本の多国籍企業が、政治、経済、軍事、外交のあらゆる面で全体を支配している。
このような社会の中で、マスメディアは、国家権力を監視する必要がある。しかし、このマスメディア自身が巨大な会社(つまりは資本)となり、多国籍企業等々と利益を共有している。国家権力の言い分を徹底的に大量にたれ流す、事実を歪めて報道するようになりつつあるのは、こういうところに原因がある。このことを国民に気づかれないように、公平さを装っている。
政府の言い分をたれ流している報道には、疑問をもって、自己検証していただきたい。支配するものとされるものに分裂した社会の支配的な思想は、支配者の側の思想であり、体制を維持するための宣伝がゆきとどいているので、国民の側にはなかなか真実が伝わらない。メディアリテラシーという問題が重要なのは、階級支配の中で真実が覆い隠されているからに他ならない。
「真実に向かってひた走れ」
SPECというドラマにおける野々村課長の言葉のように、真実を追及する必要がある。
洪水のような報道から真実を見極めるためには、かなりの努力が必要になる。マスメディアに客観的で公平、平等な立場に立った報道を求めることは、無いものねだりに等しい。