東京の議会だより研修
東京で行われた町村議会議長会の議会だより研修に参加した。2年の内、1回は先進地視察、2回目は東京研修という形なので、2年に一度は東京の町村会館という名のホテルに泊まっている。最近は9月に研修が行われることが増えてきた。
いつも新幹線を使って東京に行く。JR大谷駅なら乗る時刻は午前7時前。これで東京には12時頃到着する。結局、新大阪に着くのに2時間弱、新幹線2時間50分?ぐらい?という形。上富田町の議員が前に座っていたので聞いてみると、9時半発の白浜空港からの飛行機で来たのだという。大阪に近いかつらぎ町の方が、東京に出るのに時間がかかっている。
会場はいつものシェーンバッハ砂防ではなく虎ノ門のニッショーホールだった。机がなかったのが残念。3つの講義は面白かった。読み手の行動変容を促すという点で工夫をしたいと思う。QRコードを貼って、新たに動画を見てくださいというのも行動変容を促すもの。コミュニケーションを通じて、変化を引き起こす──そのために紙面編集をどうするのかということや、一体誰に対してメッセージを届けようとしているのかとか、議会だよりをさらに変化させる道は、多様にあり得るという柔軟性を得ることができたのは面白い。
かつらぎ町議会の議会改革は、まだ始まったばかりなので、こっちの方をどう進めるのかという点も、バージョンアップしていく必要がある。そのためには、もっとフランクな議論が必要だ。そういう点では、議論をしかかる議員になる必要がある。
移動の間、書きかけの小説に手を入れた。1970年代のファッションのことを調べたり、当時和歌山線で走っていたディーゼル車が、どういう車両だったのかを調べるのに時間がかかった。便利なのは、1977年の特定の日の天気や気温が分かることだ。寒いと書くのか、春を思わせる暖かさになってきたので、ストーブを付けないとか付けるとか、そういう微妙な点が分かると、書く文章も変わってくる。
和歌山線の電化は1984年。国鉄分割民営化の前だった。1978年、走っていた列車はディーゼル車だったが、調べてみると汽車と呼ばれるものの中にはディーゼルが含まれるという記述があった。気動車というジャンルからアプローチすると、気動車の中には蒸気機関車とディーゼル車があり、2つとも汽車というくくり方が出てくるらしい。
伊勢正三の「なごり雪」が描いた汽車は、ディーゼル車だったのかも知れない。中島みゆきの「ホームにて」の列車は明らかに汽車(蒸気機関車)だ。
1978年、和歌山線に走っていたのは、ボディーの色は少し濃いクリーム色で、そのボディーのほぼ下半分が赤色のものでキハ35気動車というものだ。電化された後は同じような感じの105系(下半分が赤というよりも、赤い帯がボディの下に入っている)になっている。電化されたものには当然パンタグラフが頭に付いている。
こういう違いを踏まえて、文章で描写する。キハ35などという言葉は使わない。さらりと書く。昔は、図書館に行って、鉄道の本を調べ、和歌山線の歴史を紐解いて車両を特定し、できれば車内のシートの色や材質も把握して、描写したいということになろう。こんなことをしていると膨大な時間が必要になる。
研修を終えた後、移動しようと思ったら、雨が降っていた。みんな傘を持っていなかったので、ビルに沿って歩くと雨に濡れてしまった。駅に着いても駅構内の地下を歩く距離がかなりあって、1駅ずつ乗り換えながら乗っている時間よりも、駅を探して歩いたのと、駅構内を歩く方が時間がかかった。
東京に行くと変化の多い街なので、情景の描写をしても、忽然と建物がなくなったりする。おそらく日本の中でこの街は、人間をもっとも疎外している街だと思われる。記憶に定着した風景をこれだけ変えてしまう街はない。こういうところで描かれる地方政治というものは、地方の実態に合わないものになる、そんなことも考えた。
変わらないものがあった。ホテル町村会館の16階の部屋から撮った緑色をした屋上をもつ自民党本部。雨が降ったので水たまりができている。文字は見えないが、左に看板が見える。この看板を建物の前に立って見ると、青色の背景に白い文字で自由民主党と書かれている。
キハ35系気動車の塗装は、民営化前の国鉄最後期には朱色1色になっていました。経費削減のためです。それまではクリーム色と朱色の2色の塗装でした。
和歌山線の場合は2色だったのではないですか?知っていれば教えてください。
朱色1色です。いつからかは覚えていませんが、私が高校生だったときから朱色1色です。通学途中、橋本駅で見ているので確かです。
こういう面白い写真が見つかりました。二種類同時に走っていたようです。
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