オバマ大統領と安倍首相

雑感

広島と長崎は、人類にとって誰もが考えなければならないことを静かに語りかけてきた。この語りは71年という時間がかかったが、アメリカ大統領の訪問を実現させた。

戦争とは何か
人間とは何か
人類とは何か
文明とは何か
科学とは何か
生きるとは何か
死ぬとは何か
2つの原爆は
今も多くのことを語りかけている。

オバマ大統領は、言葉を選びながら人類が生み出した原爆が、何を私たちに問いかけているのかを語った。
原爆を落としたアメリカ合衆国、この国の大統領として、責任を正面から受けとめたスピーチではなかった。大統領として、真正面から責任を引き受けて語れなかったところにアメリカの事情が色濃く反映している。
スピーチは、自分の責任と向きあって語るときにこそ、真実味が生まれてくる。しかし、それでもなおオバマ大統領が語った言葉には、これから先の未来に対して希望を感じることのできるものがあった。それゆえに、1つのスピーチが多くの人々の記憶に残り、波紋を広げていくのを感じた。

スピーチの一節を引用しておこう。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。
 技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。
 だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。
 私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

 言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。
 いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。

安倍首相は、スピーチで日米同盟の価値を語り、次のように締めくくった。

そして、あの忘れえぬ日に生まれた子供たちが恒久平和を願ってともしたあの灯火に誓って、世界の平和と繁栄に力を尽くす。それが今を生きる私たちの責任であります。必ずやその責任を果たしていく。日本と米国が力を合わせて、世界の人々に希望を生み出すともしびとなる。この地に立ち、オバマ大統領とともに改めて固く決意しています。そのことが、広島、長崎の原子爆弾の犠牲となった数多の御霊の思いに応える唯一の道である。私はそう確信しています。

安倍首相は、核兵器廃絶への努力を「核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難な者であろうとも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが今を生きる私たちの責任であります。」と語りながらも、スピーチの力点は日米同盟にあった。核兵器廃絶に触れたのは、この下りだけだった。
被爆国日本の首相という位置は、世界唯一のもの。各国首脳の中で核兵器廃絶については、日本の首相にしかしゃべれないものがある。そのことを語れない首相は、日本の代表にしておくのはいかにも「もったいない」。
安倍首相のスピーチは、オバマ大統領のスピーチと並べて検討されなければならない。無視された安倍スピーチ。そういう感じがする。


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雑感

Posted by 東芝 弘明