議員が自分の言葉で語るために

雑感

『誤謬だらけの『坂の上の雲』』(高井弘之著)を読みました。日清・日露戦争が、日本による朝鮮半島に対する植民地化戦争であることがよく分かりました。朝鮮半島を舞台に清国と戦争をし朝鮮半島に足場を築き、日露戦争を行い朝鮮半島を完全に植民地にしていく、このプロセスが日清・日露戦争の最大の特徴でした。1894年(明治27年)から1895年までの約1年間、日本は日清戦争を引きおこしました。どうして明治維新以降わずか30年足らずで帝国主義国の一翼を担うような形で植民地を求めていったのか。どうしてこういう国になっていったのかは、大きな疑問です。

はっきりしているのは『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)が描いたような、日本は欧米列強による植民地化の動きを跳ね返すようにして、やむむにやまれず、日本防衛のための戦争に立ち上がったのではない、ということです。
このような日本の動機の解明は、野呂栄太郎さんの本にあるのかも知れないなと思います。『日本資本主義発達史』(野呂栄太郎著)を読まねば、と思います。

さて、会議で「自分の言葉で語る」ことが議論になりました。日本共産党の議員は、正確に訴えたいという思いが強く、「赤旗」や中央委員会の見解を示した文書から引用したりして、演説原稿を組み立てるようにしているのが、見えてきました。
ぼくも、戦争法案について何回か演説を行いましたが、重視したのは3点です。(1)アメリカの後方支援、(2)PKO的な活動、(3)集団的自衛権行使、この3点がそれぞれ憲法違反の内容を持っていることを訴え、日本が行うべきなのは憲法9条にもとづく平和外交だというものでした。

付け焼き刃のように「赤旗」と中央委員会の文書に頼って、それ以上の理解がない場合は、どうしても「赤旗」や中央委員会の文書に依拠せざるを得なくなります。それ以外の認識がない場合は、違う表現さえできなくなります。ここに「紋切り型」になる問題があると思います。

若者が自分の言葉で戦争法案について生き生き語っているのを見ながら、日本共産党の看板を背負っている議員の演説について考えてみました。
共産党の議員は、日本共産党を代表して演説をしますから、党の政策を語る責任があります。党の政策を自分の言葉で語るという仕事は、自由に自分の思いを語るというものとは次元が少し違います。党の政策を自分の言葉で語るというのは、努力が必要です。まず党の政策を知るということです。知らなければ、語り伝えることはできません。知るためには、政策を学ぶ必要があります。同時に学んで理解した政策を自分の頭で吟味する必要があります。この吟味は、自分自身で書かれていることを調べ、考えるということです。調べ、考えるという行為の中には、現場に立つ、他の文献を読む、いろいろな新聞記事を読む、自分自身の体験を豊かにする等々さまざまなことが含まれます。
それらの行為を通じて、日本共産党の政策を再発見するということです。再構築といってもいいかも知れません。とにかく受け売りで語るような状況を克服するということですね。
そうすれば、紋切り型から脱出できると思います。


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雑感

Posted by 東芝 弘明