成人式に参加した

雑感

新型コロナ感染症拡大のなか、成人式が無事行われた。今年は、厚生文教常任委員会委員長として出席を要請されたので参加した。新成人は145人だった。かなり人数が少なくなった。
何度も成人式に出て、あいさつを聞かせていただく。型にはまったあいさつが多いけれど、成人の人にとっては、人生で最初で最後の成人式。その中で聞く話なので新鮮さがあるだろう。行政機関が、成人式をこういう形で行い祝ってくれることの意味は、かなり大きいだろう。

ぼくは、20歳の時には和歌山市に転出していたこともあって、知る人がほとんどいない成人式には参加しなかった。考えてみるとたった一度の成人式に参加しなかったので、なんだか、いまでも少しさみしい感じがする。成人のお祝いを友だちの中でできることはうれしいことだと思う。壇上から権利と義務の話がなくなったので、少しうれしかったが、祝電にはまだ権利と義務の話があり、しかもそれをメッセージとして送ってきた人が、なんだかなあという人だったので、少し笑ってしまった。

日本は、若い人にとって過酷な社会だと思われる。コロナ禍の中で日本社会は変わらざるを得なくなった。しかし、その変革の方向が、本当に国民の望む方向なのかと言えば、必ずしもそうなっていない。新自由主義的な「改革」の中で、非正規雇用が拡大して、若者の2人に1人が不安定雇用になった。その結果、派遣労働が若者の中に広がって、将来の安定的な夢が実現できない人が多くなった。このことを反映して、夢をもってあきらめないでたたかいぬいた人が勝利を収めるとでもいうかのような、人生訓が増えている。
テレワークが増え、デジタル化が進んでいるが、これらの変化が国民の幸福の条件の拡大にまっすぐ結びついているのかと言えばそうとは言いがたい。労働時間の短縮による収入の低下と結びついた副業のすすめは、より一層社会全体を不安定雇用へと落とし込む可能性がある。

こんな日本に誰がしたのか。1980年代から始まった新自由主義的な改革は、3つの分野で国民の暮らしを破壊した。
1つは労働法制の改悪。派遣労働が原則解禁され、不安定雇用が拡大されてきたなか、不安定雇用をテコにして、正社員でさえ賃金が引き下げられてきた。バブル崩壊後、この30年間、日本は賃金の伸びない唯一の先進国となった。

2つは社会保障の連続改悪。これによって国民の負担がものすごく増えた。同時に社会保障を支える体制が縮小され、危機に脆い仕組みになってしまった。和歌山県は保健所が削減されなかったが、大阪市などは保健所が維新の会の手によって1箇所になり、コロナ対応が十分できなくなった。全国でも、病院の削減、ベッド数の削減、感染症の専門病床の削減などによって、コロナ対応が十分できない体制が広がったことによって、自宅のまま十分な治療さえ受けられず亡くなる例が相次いだ。
2000年に導入された介護保険は、保険あって介護なしという状況になりつつある。医療保険よりも介護保険料の負担は重く、サービスは先細っている。介護保険が導入されて高齢化社会に向かって介護の苦しみが軽減されるようになるかと思っていたが、現状は、介護施設に人が集まらず低賃金に苦しむ職場が増えてしまった。介護の分野における負担増は、これから先も続く。

3つめは消費税の導入と直間比率の見直し。1989年の消費税の導入は、直間比率を見直すために実施された。結局この30数年間で消費税は10%になり、一貫して法人税と金持ち減税を繰り返してきた中で、消費税収は法人税と金持ち減税の穴埋めに使われてきた。直間比率の見直しによって、累進課税の原則が破壊され、税の公平な負担とはほど遠い仕組みになった。消費税増税によって消費が落ち込んだ。
賃金が上がらない仕組みのなかで、社会保障の負担増と消費税の引き上げを繰り返したので、日本社会の経済は、悪循環に陥っている。この矛盾は地方を破壊続けてきた。日本全体の人口減少と中山間地による商工業の衰退、地方の疲弊は、こういう仕組みの元で拍車がかかってきた。

若者は、こういう社会のもとで生きている。希望を語るよりも、厳しい現実の中でがんばり続けることが強調されている。
成人へのメッセージとして何を伝えるべきなのか。ぼくは話を聞きながら考え込んでしまった。

成人を代表して、教師になりたいという言葉があった。
あの過酷な現場に立ち向かっていくのだろうか。とも思ってしまった。
「個別最適化した学び」という言葉が繰り返されている。本当ならば、この言葉を実現するためには、オランダのように一斉授業を止めなければならない。同じクラスの中に子どもたちはいて、生活しているけれど、教師の人数が多いので、子どもは自分のしたい勉強をして、教師からアドバイスを受けている。オランダにとって一斉授業は意味がない。日本は、いまだに一斉授業を行って、勉強について行けない子どもたちを、授業のたびに傷つけている。できないことを、体が受け付けなくなるまで押しつけた中で不登校の子どもたちが生まれている。
過酷な勉強の仕方を押しつけざるを得ない学校というシステムが、教員と子どもたちを苦しめている。

正月の3日に放映していたドラマ『潜水艦カッペリーニ号の冒険』でイタリア人たちが「人生とは、食べて歌って恋をするものだ」と言っていたが、いまの日本の若者に、「人生とは食べて歌って恋をするもの」だと言っても違和感を感じるのではないだろうか。

私たちには希望がある。
日本社会は、賃金を引き上げ正社員になれる国をつくる。社会保障を充実させ、お金がなくても医療や介護が受けられる国にする。消費税を引き下げ、法人税を引き上げ、働く人の賃金を引き上げて、消費経済を豊かにすることによって、日本の経済を再生させる。社会保障の充実によって、ケア労働を大切にして、そこで働く人々の幸福の条件を広げる。中小零細企業は、個人商店の活性化も含めて光を当て育成する。そうすれば地域が豊かに再生する。日本社会の原則に個人の尊厳の尊重を据えて、個人が大切にされる社会への転換を図る。
この改革は、国の政治を変えるところから始まる。日本国憲法の原則が生きる国に再生する。

本当は、こういうメッセージを若者に送りたい。
ここに書いた社会は、ヨーロッパには現実に存在している。もちろん社会制度は日本と違う。
日本よりも労働時間が短くて、生産性は日本より高いドイツ。失業しても再就職にこまらないデンマーク、ここは残業のない国でもある。午後4時半には地域に人が戻ってきて、地域生活が豊かにはじまる。
大学に至るまで授業料が無償の国──ノルウェー、デンマーク、スゥエーデン、フィンランド、ドイツ、オーストリア、フランス、ギリシャ、ポーランド、スロベニアの10カ国。デンマークやフィンランドの幸福度は高い。

日本でも幸福度の高い社会は実現できる。現実は厳しいが、私たちには夢がある。伝えたいのはこういうメッセージなのかも知れない。

雑感

Posted by 東芝 弘明