傷口に塩をすり込むような社会

雑感

午後4時30分からかつらぎ町医師会の先生による学習会があった。これは厚生文教常任委員会の学習会として開かれたもので講師は上田先生だった。講演の内容は、かつらぎ町におけるうつ病の状況と認知症をめぐる状況についてというものだ。
気力が低下しているのに行動力があるなど、うつ病にはいろいろな精神状態が錯綜して存在しているときがある。気力が低下しているのに行動力はあるというとき、自殺する傾向が出てくる場合があるという話だった。

うつ病は、ストレスが原因で発症する病気だが、気分がよくなって改善してもストレスを引きおこす原因が解決していないと、またうつ病の症状が悪化するので、社会的に問題を解決するような働きかけが必要になる。ある職場では、うつの症状が認められる人は、10%以上に上るという話も出された。
うつ病に対する認識が広まることによって、うつ状態(気分障害)が発見されるケースが増えてきたので、うつ病患者は増加傾向にある。

終身雇用制が破壊され、派遣労働などの非正規労働が増え、生活上の困難が拡大している日本は、慢性的にうつ病が増えるような社会状況に置かれているといえるのではないだろうか。高齢者の中にもうつ病が広がっている根底には、生活苦があるだろう。加齢による病気と少ない年金という状態は、かなりのストレス要因になる。かつらぎ町では農家の中にもうつ病が広がっており、自殺につながることも多いという。

8時間働いて普通に生活のできる状況への転換が求められているように感じる。徹底的に人間の評価を行い、不十分さを克服してより完璧な方向をめざす社会は、たえず人間に対して脅迫的な圧迫感を与えている。学校現場でもストレスによって体と精神に異常を訴える先生が増えている。不登校やひきこもりが子どもの中にも広がっているのは、学校が子どもにとって心地よい居場所にはなっていないことを意味している。
なのに学校は、より一層子どもたちを競争に駆り立てている。競争教育の傾向を強めながら、一方でカウンセリングやスクールソーシャルワーカーを配置して、メンタルヘルスへの対策を強化しても、それらは対処療法に留まるのではないだろうか。子どもたちを優しく受け入れ、みんなが楽しく成長していけるような学校をつくらないと問題の本当の解決にはならない。

失敗やミスを徹底的に追及し、必要以上に攻撃的になっている社会というのは、ストレスを受けた人間が、他に対して今度は徹底的にストレスを与えるような悪循環が日本の中には蔓延しているのかも知れない。
うつの話を聞いていると、自分自身もそうなるのではないか、というような不安も生まれてくる。

攻撃よりも連携、連帯。個人をバラバラにするような評価よりも、人間集団の中で影響を与え合って伸びていくような捉え方。8時間労働と自由な時間の確保、生活のできる賃金、生活のできる年金、こういう社会の根本的な基盤を作り直す中で、人間と人間との関係を再構築する努力が必要だと思われる。労働現場に持ち込まれている成果主義は、問題を深刻化することはあっても、改善することはない。人間をバラバラに評価するような考え方は、現在の労働現場をより一層困難にしている。

日本社会は、互いに傷口を発見した人間が、他人の傷口に塩をすり込むようなことを繰り返している。こういう社会の有り様を変える必要がある。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明