母の命日とバレンタインデー

雑感

「明日、お母さんの命日じゃなかったかな」
夜11時になる前、突然妻がそう言った。
まるで気がついてなかった。2月14日は橋本周辺広域市町村圏組合の議会があり、どうしても議会の準備をしないといけない、そう思っていると2月14日の持っている意味を考える余裕がなかった。

妻にそう言われたので、ブログを検索してみた。母の37回忌と父の50回忌のことを書いたブログが簡単に目の前に現れた。日記のように出来事を克明に書いているブログは、自分の忘備録としての役割を果たしているだろう。書いたことをすっかり忘れてしまうが、書き綴った記録は、自分の意識の外に残っている。それは便利なことだと思う。検索して確認できる機能を便利だと感じたときは、備忘録のようにブログを書くのもいいかな、と思うが、そういう風にはなかなかならない。自分が考えていることを書いてみたり、ときには1日の出来事の中での断片を克明に書いたりしているので、日記にはほど遠い。でも、スケジュールの一覧とブログがあれば、過去の1日に何があったのか、わりと正確に把握できるので、Macに残されたデータというのは、ありがたい。

毎年、バレンタインデーと母の命日はめぐっている。いつでもなくなった日のことは鮮明に思い出せる。何度も思い出していると、おそらく自分で記憶を書き換えているのだろうけれど、映像を伴って思い出されるシーンの断片までは書き換えてはいないだろうと思っている。
広域議会の終了後、お昼にオークワに立ち寄って、仏壇に供えるお饅頭を買ってきた。お線香を立てて蝋燭に火を灯しお茶を供え、手を合わせる。こういう行為を何度繰り返してきただろうか。
亡くなったときの母の年齢は満51歳だった。大正の一番最後の歳に生まれた母が生きていたら90歳を超えている。人は、50歳、60歳、70歳、80歳、90歳というように10年単位で比べてみると、随分容姿や顔立ちが変わってくる。51歳で亡くなった母の90歳を想像することはできない。母と同い年だと思われ人の姿をテレビなどで見て、生きていたらこういう感じかなと思うぐらいのことだ。
写真の母は、ぼくよりも若いのだろうが、その写真を見ている自分のイメージは、いつも母よりも若いと思うから不思議だ。

今日はバレンタインデーだった。誰からも義理チョコさえもらわなくなったが、娘と妻からのプレゼントはあった。合計で3箱。
「お父さん、中身見たら?」
冷たい部屋に置いて、溶けないようにしたのだが、娘からリクエストがあった。
こたつの上に持ってきて、娘からもらった箱を開けようとした。リボンで結んでいるように見えたので、リボンの紐を引っ張ろうとしたが、リボンはほどけなかった。よく見ると箱の上に貼り付けてある見せかけのリボンだった。フタを取ろうとしても開かない。底を見るとセロテープで2か所、封が施されていた。セロテープの一つをハサミを差し込んで切り、蓋を開ける時に箱を逆さにしてしまった。開けた途端に中のチョコレートが箱の蓋にこぼれ出た。
「あーあ、せっかくお洒落なチョコレートを選んできたのに。全部ひっくり返ってしまったやんか」
そう言われてしまった。
「ごめん、ごめん」
こぼれ出たチョコレートを元通りに戻すのに少し時間がかかった。色々な形のチョコレートが、格子状に仕切られた9つの枠の中に綺麗に納まるようにデザインされ、さらに4か所、チョコレートの上にコイン状の丸いチョコレートを重ねて置くようになっていた。
「どう、いいやろ」
娘は得意そうにそう言った。

風邪で喉が痛い日になったが、いい1日だった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明