需要と供給

雑感

経済学の基礎について、講義を行うのでオリジナルな資料を作成している。かなりビジュアル的な資料ができつつある。資本の定式 貨幣(G)ー商品(W)ー貨幣’(G’)を書いたところで本日は終了した。付録として労働価値説と需要と供給の曲線による価格の決定という理論が、本当に現実を言い表しているのかを考察し、娘と夜中に議論になった。

需要と供給の曲線によって価格が決定するという論理には、商品を生産したメーカーが価格を決めない(決められない)という前提とともに、価格が決まらない間は販売されないという前提があるという指摘があり、この指摘を娘がネット上で発見したので、そこで議論が終了となった。娘との話し合いで、ぼくは一貫して製造メーカーが価格を決めているという話をしていた。この話とともに電気製品は、戦後一貫して製品の価格をものすごく下げてきたという話をして、一貫して価格が下がってきた現実を需要と供給の曲線では説明ができないのではないか。とも主張した。

話をしていると、ヤマダ電機のお店が頭に浮かんできた。以前、カラーテレビを買うときに、
「もう少し安くなりますか」
とぼくは尋ねた。すると店員は店の奥に引っ込んで3分ほど経ってから、
「ここまでなら値を下げることができます」と返事を返してきた。
娘と話をしているとこのシチュエーションとともに、店員が奥に引っ込んでからの妄想が浮かんできた。

ヤマダ電機の奥の部屋には、需要と供給の神様が2人いて、布袋さんのような需要神と大黒さんのような供給神が、二人で話し合い、らちがあかなかったら3分間1本勝負でボクシングをして、需要神が勝つとお客さん寄りの価格を提示して、供給神が勝つとお店寄りの「あんまりまかりませんね。ここが限界です」というようなことをしているというものだ。
アダム・スミスが神の見えざる手だと言って、需要と供給を語り、市場によって適正な価格が実現するというのであれば、ぼくの妄想もまんざらでもないなと思った。
量販店の部屋の奥には、需要神と供給神がいていつもボクシングをして決着している。需要と供給曲線の交点は、ボクシングによって決まっている。
まあそういうことにしておこう。


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雑感

Posted by 東芝 弘明