学習がきりひらく新たな視点 2005年11月21日(月)

雑感

紀の川市のビラの3本目の作成に取りかかった。11時からは打ち合わせ、1時30分からは会議、夜は打田町で会議があった。
会議が多い。
何とかならないものか。
と思っても、それぞれ必要な会議なのでどうも仕方がない。
会議の中で、学習が必要だという発言をおこなった。今日はこの考えについて、少し展開してみたい。
時代は変化の中にある。この変化に対応するためには、変化の本質を見極める必要がある。自分の経験だけで物事を判断していると、変化の本当の姿を見逃してしまう。
変化を見極めるためには、さまざまな変化をとらえて分析しているいろんな本や文献を読む必要がある。自分の中に新しい知識や分析の観点を取り込まないと、新たな視点が自分の視野に入ってこない。変化の時代に対応しようと思えば、変化に合わせてその変化をリアルタイムでとらえる努力が必要なのだ。
学ぶとは、自分の視点に新たなものの見方を加えることである。それは、新しい現実を分析する新しい武器を手に入れることに他ならない。
学ぶ姿勢に欠かせないのは、実践的な視点だ。
そう、学ぶだけでは足らない。
実践的に学ぶという姿勢が重要なのだ。評論家になってはならない。
自ら体を動かして実践することが一番大切なのだ。実践のなかから導き出された理論こそ、最も事の本質に肉薄する。
人類の科学は、理論と実践の積み重ねの中で発展してきた。実践は人間の認識を飛躍させてきた。理論は新たな実践の方向を指し示した。
抽象的な論理は、具体的な事柄を分析する大きな武器になるが、それらの論理は、現実の具体的な現象を分析し再構築する努力の中でこそ生きる。
しかし、ひとりの人間が、すべての分野を実践することは不可能である。
そういうときに力を発揮するのはイマジネーションだと思う。
新しい話を把握するときには、たえず自分の頭の中に具体的な映像を結ぶことを大切にしている。
ぼくの場合、議員としての取材の仕方は次のようなものだ。
話を聞きながらメモをとる。そのメモを見ながら、質問を積み重ねていくと頭が働いていろいろな問題意識がわき上がってくる。この問題意識を大切にして追求していくといろいろなものが見えてくる。そうすると自分の頭の中には、立体的で具体的なイメージが形作られていく。
そうやって対象となる事物の本質に迫るのは面白い。本質に肉薄していくプロセス、ここにはダイナミックなドラマがある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明