京都市へ応援に行ってきた

雑感,出来事

京都市長選挙が1月21日告示、2月4日投票で行われるので応援に行ってきた。朝7時30分に事務所集合で京都市内の下京区に着いたのが、午前9時過ぎだった。1時間30分で現地に到着した。市長選挙に無所属で出馬予定の福山和人さんへの支援だった。写真は、活動を終えてみんなで記念写真を撮ったあとのシーン。
4年前の選挙のときよりも対決構造が鮮明になっている。市長の門川太作氏は、市役所の職員から市長になった人で現在4期目。今回、この方が引退しての選挙となる。京都市は、人口減少が最も激しい市の一つ。産経新聞にこのような指摘がある。

とくに子育て世代の人口流出が激しいというのが現地の説明だった。子どもの医療費無料化は、住民運動に押される形で実現しているが、まだ小学校卒業まで。学校給食は有料。最近は財政再建のために私立保育園への補助金削減(年9億円)、学童保育への補助金削減(年1.6億円)、敬老乗車証の市負担の引き下げ(年28億円)などが行われた。
福山和人さんの政策は、詳細で上記の削減を元に戻しつつ、5つの無償化を掲げている。

  1. 「子どもの医療費を18歳まで無償化(年7.9億円)
  2. 小中学校の給食費をまず半額無償化(年47.48億円)
  3. 第2子以降の保育料無償化(一人親家庭は1人目から無償)(年13.1億円)
  4. 18歳までの国保料の均等割無償化(年3.26億円)
  5. 返済不要の京都市版給付型奨学金の創設(年1.7億円)

財源は、市の年間予算9300億円のわずか1%程度なので実施は可能だと言っている。京都市内への北陸新幹線の延伸を止めるだけで十分財源は確保できだろう。消防職員をこの間、2割・381人も削減してきたのもとんでもない。保健所は市内に1か所にしてしまっている。これも異常だ。これを元に戻すことや被災住宅への補助、耐震補強を行う場合の住宅リフォーム助成も元に戻すことを表明している。

中学校給食の実施も住民運動の課題となっているが、中学校給食を実現するために、2万6000人の給食センターを作ることが表明され、これを66の中学校に配食するという計画が浮上している。2万6000食の給食センターを作る発想がそもそも異常だと思われる。京都市の観光シーズンの交通渋滞は深刻。こういう状況下で東西方向は約29km,南北方向は約49km。面積827.8 km²の京都市内の66校に給食を時間どおり配るということを考えていること自体、現実から離れてしまっている。この課題については、自校方式による学校給食の実施を掲げている。
こういう政策を展開しつつ、産業の99%を占める京都の地場産業を守り発展させていけば、歴史と伝統を大切にしながら京都市を再生する展望は見えてくるだろう。

京都市の財政難は、歴史的に作られてきたものであり、公共投資による基盤整備にその大きな原因がある。最近は、建物の高さを制限していた規制を緩和して、民間企業の投資を呼び込み、インバウンド目当ての高級なホテルの誘致が盛んに行われている。これは、市の政策として推進されてきた。さらに公共投資によって引き起こされている財政危機を、子育て関係の福祉施策やお年寄りに対する施策の切り捨てて乗りこえるという政策を実行した。やっていることは真逆。この政治を市民の力で転換することが求められている。
さらに豪華な庁舎建設の問題がある。ウキペディアの記述を引用しておこう。

2022年10月1日の住民基本台帳によると、人口は138万7,356人。京都市の世帯構成の中では、1人暮らしが多く50.8%を占め、2人暮らしが24.4%、合計で75.2%となる。ちなみにぼくが行った下京区は1人暮らしが61.6%あった。1世帯当たりの平均人数は1.90人と少ない。平均年齢は 47.5 歳、人口が最も多い年齢は 73歳で65歳以上の人口の割合(高齢化率)は 28.4%となっている。生産年齢人口が60.8%なので、働いている人の単身世帯が比較的多いということになる。

儲かる地域への経済投資。市民の暮らしの支援は行わないという京都市は、次第に古都、京都らしさを失いつつある。京都は古い日本の都だった。このまちは日本の政治の中心でなくなってからも、賑わいってきたのは、古い歴史のある神社仏閣、そこで育まれてきた京都の文化と産業、文化は民衆によって柔らかく作られてきた。これは歴史ある都に集まってきた市井の人々の力による。ここ数十年は、この京都の良さを失わせるような開発行政が続いてきた。

京都市に行って話を聞いていると、日本の失われた30年というものの正体の一つを見るような気持ちになった。圧倒的多数の地方を切り捨てる一方で、儲かる地域に対しては再開発という名の投資を行う。そのことを通じて伝統的なものを破壊する。日本の政治を貫いているのは、国民不在の政治ということだろう。その結果として京都市は人口減少の最中にある。
国民の力を大切にして、暮らしを支え、子育て支援を行い、住みよいまちをつくりながら、人間が未来に展望を描き、希望を抱けるような政治こそが求められている。公共投資のつけを福祉の切り捨てで乗りこえ、北陸新幹線の京都への延伸に情熱を傾けるというような再開発に傾注するというまちづくりは、破壊以外の何物でもない。

北陸新幹線の京都への延伸は、JRが建設には責任をもたない。国と自治体が半分ずつ責任を負う形だ。資材高騰で建設経費は4兆円を超えるのではないかといわれている。当然、重い負担が京都市にものしかかる。京都への延伸にかかる建設費を安く上げるために、40メートル以上の地下にトンネルを掘るということになっている。地震が起こったら地上に出られない(一定の間隔で地上に上がれる階段をつくるということになっているが)ような新幹線をつくってどうするのだろうか。

日本経済の落ち込みは、国民を痛めつけてきた結果にある。開発の盛んな京都でも、国民を痛めつける政治の実態を聞かせていただいて、改めて失われた30年の無残な姿を見るような気持ちになった。日本の政治は大阪・関西万博に典型的だが、これは高度経済成長期と同じ開発優先。ただし、高度経済成長のような奇跡はもう起きない。経済が縮小している中で公共投資に血走って暴走する姿は、もはや夢よもう一度ということにさえなっていない。借金をしながら行う巨大開発は経済の好循環につながらない。暴走するバラック建ての建設事業が、暴走故に建物のいたる所の部品やパーツが壊れ崩壊していく。暴走すればするほど破綻が深刻になる。これが21世紀の日本の開発行為なのではないだろうか。破綻を繰り返しながら、そのツケを国民に押しつけ暮らしを壊す。このような政治に未来はない。


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雑感,出来事

Posted by 東芝 弘明