管野須賀子の生涯に触れて

出来事

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朝早朝配達だったので事務所に行った。
着いたとたん閃いた。
「あっ、単車のキーを忘れた」
車に戻ってもう一度自宅へ戻った。
妻が起きていた。
「早いね」
「いや、キーを忘れた」
事務所に戻ると予定より15分が経過していた。
今日は朝からついていない。いやいや、ついていないのは単車のキーだった。

朝食の後、洗濯を干して掃除をした。塾に行く娘を橋本駅まで送って、会場に向かった。移動時間は5分。治安維持法国家賠償要求同盟(国賠同盟)の総会がある。
会場に着くと時計は10時29分を指していた。

総会の後、午後1時30分から記念講演が始まった。講演のタイトルは「野に落ちし種子のゆきさき」。大逆事件で死刑になった唯一の女性、管野須賀子のお話だった。講師は大石喜美恵氏(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央常任理事/大阪府本部副部長)。大石さんは、物静かなのに何事にも動じない芯の強さを感じさせる人だった。今までこういう雰囲気の女性に出会ったことがない。こういう人に出会い、お話しを聞けただけで嬉しかった。
管野須賀子の名誉回復というテーマは、かなり傷害が大きい。妖婦と揶揄され、男性遍歴の多いとされる管野は、明治天皇に対して爆弾で殺害を企てた首謀者の一人として逮捕されている。彼女には幾重にも攻撃が重なっている。
幸徳秋水や大石誠之助の大逆事件と言えば知っている人もいるだろう。幸徳秋水や管野須賀子ほか10人が死刑になったこの事件は、無政府主義者や社会主義者が大規模に弾圧された事件の発端となったものだ。
管野須賀子たちは、爆弾を製造して明治天皇の暗殺を謀ろうとした。かかわったのは5人。事件の内容は次のようなものだ。
5人の内の一人である宮下太吉は、長野県明科(あかしな)の製材所で爆裂弾を製造し、1909年11に爆発実験を行った。この実験が警察にばれて、翌年1月、平民社で天皇に爆裂弾を投げる計画を謀議したとして宮下大吉と新村忠雄、新村善兵衛が検挙された。管野須賀子は別件で入獄していたが、この事件の首謀者の1人として検挙されている。さらに6月には、幸徳秋水らが検挙され、これ以後、東京、大阪、神戸、岡山、長野、和歌山、熊本など全国にわたって社会主義者や無政府主義者、宗教者など数百人が逮捕された。検挙者のうち26人が起訴、スピード裁判によって24人に死刑判決が言い渡された。この直後、12人が天皇による特赦で無期懲役になり、残り12人が処刑された。裁判は1910年12月10日に始まり、翌年の1月18日に結審している。死刑は、1月24日に11人に執行され、25日に管野須賀子が執行されている。幸徳秋水や和歌山県新宮市出身の大石誠之助らほとんどのものは、全くのでっち上げだった。また、爆弾によって天皇の殺害を企てたというのも、実際に行ったのは爆破実験のみ、あとは謀議を行ったという爆発物取締罰則違反程度の未遂事件に過ぎない。

これで検挙、投獄され、起訴されてスピード判決が下り、ただちに処刑されているのは恐ろしい。現代日本では、今の臨時国会で共謀罪を国会で通そうとしているが、このような法律になったら、大逆事件と同じような事件が起こりうる。

管野須賀子は、天皇爆殺の意志を持っていたようだが、暗殺の話が出た平民社で話に加わり共感したということだろう。実際にはいっさい行動を起こさなかった。宮下が爆裂弾を造って実験したが、破壊力は極めて小さかったようだ。
1910年当時の日本は、明治になって43年経っていたが、封建制の残滓が色濃く残っており、男性は自由に妾をもち簡単に女性に手をだすような時代だった。管野須賀子は、何人かの男性と結婚をしているが、当時の日本は一夫一婦制というような考え方も極めて弱く、女性は男性に付き従うという時代で、全くの無権利状態に置かれていた。この中で管野須賀子は、一夫一婦制の実現、男子の遊蕩や畜妾を非難し、芸妓、娼妓に攻撃の矛先を向けた。女性の人権や労働条件に対しても関心を持ち、女工の虐待を記事にした。女性の権利拡張や廃娼論などを展開した。

講師の大石氏は、管野須賀子の実像を丹念に追いかけているような印象を受けた。明治43年という時代を踏まえて、女性が社会で働くこと自体がままならなかった時代に、時代を突き抜けて主義主張を明確にして29年という生涯を駆け抜けたこの人の本当の姿をとらえ、名誉回復を図ろうとしている。管野須賀子の全集は3冊ある。新聞の編集者であった彼女は、女性蔑視の時代の中で、自らの頭で物事を捉え考え抜いて生きた1人だった。裁判を通じて残されている彼女の発言には、自己弁解などは微塵もない。

大逆事件から105年。日本政府は、大逆事件に対して、この弾圧事件の真相を語ろうとはしない。1961年に無期懲役だった坂本清馬と森近運平の妹栄子によってなされた再審請求は、65 年に却下されている。明々白々な弾圧事件だった大逆事件の真相を明らかにしようとしない日本政府の本当の姿がここにある。過去の歴史の事実を訂正したり、誤りを正したりしない政府というのは、現代と未来を鋭く見据えている。過去の過ちを認めないのは、未来の罪を認めないことに深く直結している。
大逆事件から105年。遠い1世紀以上前のこの事件は、戦争への暴走を強める21世紀の中で、大きな警鐘を鳴らしている。

政府が認めない問題には、必ず政府の擁護者が生まれてくる。歴史の修正主義の政治的根っこには、歴史の事実を認めない政府の存在がある。しかも最近は、政府の立場を擁護するために、人が雇用されて、個人になりすまして擁護論をばらまくようなことまでしている。ネット右翼の中心部分は、お金で雇用し言論を拡散する勢力によって支えられている。

大逆事件から発せられている鐘の音を私たちは聞かなければならない。


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出来事

Posted by 東芝 弘明