Yさんの通夜

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会場の外には、細かな雨が降っていた。
Yさんが亡くなったので通夜に参列させていただいた。20年前、僕が議員になったときにYさんも新人議員としていっしょに議員になった。
この方は、僕の同級生の父親であり、僕にとっても父の世代となる方の一人だった。享年77歳だというアナウンスが流れて、通夜の読経がはじまった。多くの方々が参列しており、僕は案内にしたがって前の方の列に座らせていただいた。

Yさんは、かつらぎ町の元課長だった人であり、定年退職して2年後の町議選挙に57歳で立候補されたようだ。かつらぎ町のさまざまな例規に関わるルールを整えた人だという話もあり、1年生議員の時には、随分色々なことを教えていただいた。
多くの方々が通夜のお参りを済ませ、潮がひくように会場から去っていくのを見ながら、僕は会場の隅に立って読経が終了するのを待っていた。お坊さんの読経には、精魂込めた気迫のようなものが感じられ心打つものがあった。

会場に座っていた方々も通夜の終了とともに五月雨的に立ち上がって、会場の後方に移動してきたので、ぼくは、その流れとは反対に会場の前に歩いて行った。
背の高い息子さんに声をかけた。
「すみませんが、お顔を見せていただいていいですか」
少し言葉の最後が、震えてしまった。
「いいですよ」
息子さんは、遅れてきた弔問客の焼香が終了するのを待って、僕を案内してくれた。
棺のふたを開けると穏やかな顔があった。少し笑っているようにさえ見える。
僕はしばらく顔を見てから両手を合わせた。

目を閉じるとYさんの笑っていた顔が浮かんできた。8年間、議員の時間を共有していた。その間にワンマン的な町長は、新しい町長に入れ替わった。バブルの絶頂期からその崩壊、バブル後の不況、消費税の引き上げ、景気対策と称する資金のバラマキ、公共投資偏重の政治が続いた後、時代は新自由主義的な改革へとかじを切っていった。Yさんといっしょだった8年間は、バブルとその後の不況の時代にあたる。

最近は、会う機会も少なくなり、時折車を運転する姿を見かけるというものだった。
20年の時間の中で、多くの人が鬼籍に入った。それでも時間は、止まることなく流れている。時代は、激しく動きながら大きく変化している。
通夜には、後輩にあたる町職員の方々が数多く参列していた。役場にとって一つの時代が終わりを告げたような感じがした。Yさんが残したものは、まだ役場の中に形として残っているだろうけれど、それらは、やがて新しいものに置きかわっていく。
Yさんは、職員に対し法律を守る精神を大事にしろということをくり返し語っていた。この精神は、時代が変わっても、新しい職員に受け継がれていくべきだろう。しかし、それはYさんの時代とは違ったものになるべきだろう。住民のために法律を活用し、新しい自治体のあり方を自主的に探究していくものとして。

ぼくが所有している写真の中に、視察先でくわえタバコをしながら駅のホームを歩いているYさんの写真がある。タバコとお酒が好きな人だった。1990年代はまだ、おおらかな時代の空気が少し残っていた。駅のホームでのタバコも自由だった。くわえたタバコは、かなり高い角度で天井を向いていた。

ご冥福をお祈りしたい。


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Posted by 東芝 弘明