映画「さとにきたらええやん」を観て

出来事,映画

一般質問の準備のために教育委員会で中学校3年の公民の教科書と小学校6年社会下の教科書を調べていた。総合文化会館のホールに入った右手に2つの本箱があって、そこに教科書が並べられ、伊都(地方)がどの教科書を採用しているのか、分かるようになっている。棚を物色しているとたまたま、探していた教科書が2つとも見あたらなかったので、指導主事の先生に尋ねてみた。
探してもらっているときに、知り合いの教頭先生が「か人権」の総会の準備をしていた。案内の立て看板には「さとにきたらええやん」という映画上映を行うとあった。「子どもの貧困がテーマやで。見にけえへんかい」
そう誘われたので、子どもの貧困をテーマにした一般質問を予定しているので、映画を見ることにした。

映画の公式サイトには次のような説明がある。

大阪市西成区釜ヶ崎。“日雇い労働者の街”と呼ばれてきたこの地で38年にわたり活動を続ける「こどもの里」。
“さと”と呼ばれるこの場所では0歳からおおむね20歳までの子どもを、障がいの有無や国籍の区別なく無料で受け入れています。地域の児童館として学校帰りに遊びに来る子や一時的に宿泊する子、様々な事情から親元を離れている子だけでなく、子どもの親たちも休息できる場として、それぞれの家庭の事情に寄り添いながら、貴重な地域の集い場として在り続けてきました。
本作では「こどもの里」を舞台に、時に悩み、立ち止まりながらも力強く成長していく子どもたちと、彼らを支える職員たちに密着。子どもたちの心の揺れ動きを見つめながら、子どもも大人も抱えている「しんどさ」と格闘する人々の切実な姿を描き出しました。
大阪市西成区釜ヶ崎には「こどもの里」というどんな状態のこどもでも受け入れてくれるセンターがある。そこで生活しているこどももいる。親の暴力から逃げている子も、ネグレクトから逃げている子も、子どもの面倒をみられない親にかわって子どもをみてあげているという場合もある。このセンターがなかったら、行き場所(生き場所)のない子どもがたくさんいる。

こどもの里は、自らのサイトで歴史について、こう書いている。

はじまり
1977年、釜ヶ崎のこどもたちに健全で自由な遊び場を提供したいとの思いから、こどもたちの遊び場(ミニ児童館)「子どもの広場」として「聖フランシスコ会『ふるさとの家』」の2階の一室で始まりました。

こどもたちの姿
集まってきたこどもたちの姿から見えて来たのは、彼らの背後にある生活の不安定さでした。
すなわち、これはこどもの親が抱えるしんどさでもありました。
釜ヶ崎で働き、生活する保護者の抱える社会的な問題の大きさでした。

こどものニーズに合わせて少しずつ形を変えていく
こんなこどもたちに必要だったことは、基本的な生活習慣を身につけることからこどもの生活権の保障、住まいの確保などこどもが生きていくことへの手助けだったのです。
やがて、借金や家庭内暴力から逃げてきた行き場のないこどもや親の緊急避難場所となりました。
1980年に「守護の天使の姉妹修道会」がこの活動を引き継ぎ、現在の場所に「こどもの里」を開きました。
こどもたちが思い切り体を動かせる広いホール、料理や食事が一緒にできる食堂、勉強のできる図書室、そして緊急避難、一時宿泊のための部屋…。
こどもが安心して遊べる場の提供と生活相談を中心に、常にこどもの立場に立ち、こどもの権利を守り、こどものニーズに応じるをモットーに活動を続けてきました。

その後、1996年には大阪市の「子どもの家事業」として認可を受け、補助金を受けるようになりました。
しかし、2年後の1998年に姉妹修道会の事業からの撤退が決定。
存続を願う利用者や保護者、地域の支援者らの熱心な働きかけにより、1999年宗教法人「カトリック大阪大司教区」が事業を引き継ぎました。
20年間のこどもの里の緊急一時保護の場、生活の場の提供の実績より、より必要なこどもたちのために、2000年の12月に里親の認定を受け、翌2001年には大阪市家庭養護寮として指定され、里子となったこどもたちの生活も安定してきました。
2010年3月には、大阪市家庭養護寮から小規模住居型児童養育事業「こどもの里ファミリーホーム」に移行しました。

そして現在とこれから
放課後のこどもたちの行き場だけでなく、生活の場としてのニーズが増々高まり、こどもの里は24時間フル回転しています。
しかし、こどもたちが抱える「しんどさ」「生き辛さ」は、決して軽減してはいません。
むしろ課題が増すばかりです。

そんな中、大阪市は2013年度をもって「子どもの家事業」を廃止、「大阪市留守家庭児童対策事業(学童保育)」に移行せざるをえなくなりました。
けれども、今まで通り0歳から18歳までの全てのこどもたちが利用できるこどもたちの遊び場、居場所を守っていく活動をしていきます。
そのため2014年度より乳幼児とその保護者を対象とした「大阪市地域子育て支援拠点事業」(つどいの広場)を開設しました。

2015年4月1日、こどもたちのニーズに応えたいと行動することで生まれてきたこどもの里の種々の活動をより一層充実させるため、こどもの里は活動主体を「特定非営利活動法人(NPO法人)こどもの里」として新たな出発をし,2016年5月には、義務教育終了したこどもたちが自立した日常生活及び社会生活を営むことが出来るように共同生活をしながら、日常生活上の援助及び生活指導並びに就業の支援を行なう『児童自立生活援助事業(自立援助ホーム)』を開設することが出来ました。

次は、障がいを持つ親やそのこども・家族の日常生活を支えて、ニーズに応じた利便性の高いサービスの情報を提供する『地域生活支援事業』を目指します。

こどもの里の活動内容を創り出したのは、釜ヶ崎のこどもたち自身です。
釜ヶ崎のこどもたちの生きざまとそのエネルギーが、活動を深め、拡げて来たのです。
そして、釜ヶ崎のこどもたちの生きざまとそのエネルギーを、受け止め、心に覚え、支援してくださる皆様が在って、こどもたちの「生きるしんどさ」が軽減され、活動が実現していけるのです。

誰でもどんな状態の子どもであっても受け入れ、育つ環境を保障しているのは、ものすごいことだと思う。この「こどもの里」によって、どれだけ多くの子どもたちが救われてきただろうか。この環境がなければ、悪循環の中でより一層大変な状況に追い込まれた子どもは多かっただろう。釜ヶ崎のように子どもを受け入れることのできるセンター(「特定非営利法人こどものさと」)があり、そこで暮らしている職員がいて、さらに場合によっては里親になってあげることができて、はじめて支えられることがある。

ぼくたちの住むかつらぎ町には、こういう自由に受け入れ可能なセンターはない。たくさんの子どもが次から次へと集まって来て、まだ幼児の時代から受け入れてあげないと生活が成り立たないという状態の子どもたちは、そんなに多くない。でも多くないだけに釜ヶ崎とはまた違う、孤立した状況に置かれている。親子関係、母子関係と学校という形だけの世界で苦しみ続けている子どもがいる。
昔と違って学校の先生が果たせる役割は小さくなったのかも知れない。以前は、子どものことを丸ごととらえようとして、金八先生のような状況になって、朝から晩まで駆けずり回るような状態になっていた先生もいた。しかし、いつの間にか学校は、「授業を教える場」という側面が強くなって、子どもの全人格の発展をめざすということが、なかなかできにくい状況に置かれている。

笠田駅前には、少しでも子どもの居場所になれるようにということで、雑貨屋さんと防災グッズを売るお店を作った人がいる。お店のもう一つの目的は、小学生・中学生の居場所づくりだった。このお店ができたことによって、居場所ができた子どもたちが確実に存在している。

ぼくたちにできることはなんだろう。ぼくは議員なので行政の仕事を通じて、少しでも子どもが安心して暮らせる仕組みを作ることを考えたい。無料の学習塾を提案したのも、今回、学校給食の無償化を提案するのも、この映画につながる取り組みとして考えている。学校給食を頼りにしている子どもたちは、確実に存在しており、朝と夜のご飯の保障のない子どもたちの存在もある。
ぼくは、この映画を見ながら、自分の中学校と高校時代の家のことを思い出していた。母子家庭で母親が入院していたので、子どもたちだけで生活していたわが家は、自然発生的に子どもの居場所の一つになっていた。駅前にあったという条件が、それを促進していたということでもあった。入院していた母親の給料によって、ぼくたちの生活は成り立っていたが、ぼくは高校の一時期、朝ご飯も昼ご飯も食べなかった時期があった。夕ご飯だけでは、栄養が不足して四六時中、目眩に襲われていた。
何が貧困なのかは、その当事者にはよく分からない。ぼくは、朝も昼も食べないでどこまで生活できるのかを楽しんでいたような感じもあった。

「さとにきたらええやん」という映画が始まる前に、池田教育長が来賓として挨拶され、「子どもの貧困は6人に1人といわれる状況にあります」といい、子どもの権利条約のことを話されて、「子どもの貧困とは、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利という4つの権利すべてが保障されていない状態にある」ということを紹介された。この認識は大切なものだと思われる。挨拶を聞きながら今回の質問では、このことも力にしたいと思った。


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出来事,映画

Posted by 東芝 弘明