国民主権に新しい粒を付け加える

雑感

東京都議選挙によって、日本共産党が躍進したことを喜んでくれた30代の男性がいた。
日本共産党は、地道にコツコツ努力を重ねてきた政党だが、この努力が少しずつ現実の政治を動かす力を発揮していると感じている。ぼくは、30歳の時から57歳の今に至るまで議員活動を続けてきて、議会ごとに真剣に議案や質問準備に向きあって来た。それら一つ一つの努力は、長い時間のかかるものでもあったが、実りはじめ行政の中に変化を生み出してきた。

「お父さんは、いつからそういう風に学ぶようになったん」
大学生になった娘が、数日前にそう聞いた。
「18歳の頃は、こんな風にはできていなかった。ただ、大学には経済学を学びに行った。経済学を学ぶために哲学を一生懸命に学んだ」
こう言った後で
「そうだなあ、しかし、今の学び方が身についたのは議員になってからだと思う。一般質問の準備を重ねる中で身についたんや」
大学でのレポートをみて、意見を交わすということができるようになったのは嬉しい。

27年間の一般質問の回数は、108回ほどになる。持ち時間1時間の準備に費やす時間は、膨大なものかも知れない。最近は、質問準備の前と後でいえば、必ずいくつかの認識の発展が実現するように努力していると言っていい。自分の認識の中にある情報や考え方だけで質問を準備するようなことはしたくないし、そういうことをしていると自分のスキルが確実に後退すると思っている。質問準備がアウトプットの作業であるとすれば、アウトプットするためのインプットが決定的に重要だということだ。
「認識の発展なしに質問なし」
これが質問準備の基本的スタンスだといっていいだろう。

こういう努力の上に信頼があるとも思っている。地道にコツコツと積み重ねてきた力によって、自分のものの見方や考え方が形成されている。おそらく日本全国の日本共産党の議員の中には、ぼくと同じような思いを持っている議員がいるだろう。日本共産党の議員の努力によって、開かれた道があり、実現した願いがある。
激動の時代。多くの国民が政治的な変化を求め、模索を積み重ねている中で、日本共産党は、信頼をじわりと広げて存在感を発揮し始めている。一つ一つの要求の実現は、現実にある国民主権をより豊かにするものであり、政治の主人公は国民であることを積み重ねるものになっている。国民主権は、単なる投票権や直接請求権や保障されている基本的人権にあるだけではない。現実の具体的な政治や社会、経済の中で、国民の役割が発揮され、意思が尊重され、意思が物事の決定に具体的に生かされるようになってこそ、豊かに発展する。政治や社会や経済の仕組みの中に国民主権が豊かに実現するように努力すること。ここに日本共産党の議員の果たさなければならない役割がある。

6月会議では、学校給食の無償化問題を取りあげた。この課題は、子どもが学校の主人公となるための食事面からの保障の一つになる。ぼくたちは、住民こそ主人公という言葉で、国民主権に新しい具体的な成果という名の粒を付け加えて行く。
勝ち取った成果は、単なる便利なものなのではない。それらは、国民主権の具体化の一つの要素なのだと思う。私たちは、たえず具体的な国民主権とは何なのかを追求し、一つ一つの成果を国民主権との関係で理解し直す学びを重ねなければならない。豊かな国民主権の実現の先に新しい日本の具体的な姿がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明