映画とリアリズム

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日本映画をいくつか見た。
「ハナミズキ」「海猿2」「海猿3」「余命1ヶ月の花嫁」
映画を見ると、「えーありえないだろう」というシーンがある。
「設定」ということにかかわるものだ。
ここをきちんと描いていないと、リアリティーが損なわれてしまう。
映画というのは、フィクションだ。しかし、フィクションだからこそ、逆に真実性が問われてくる。
そこをいとも簡単に描いてしまうと、もともと、フィクションである映画が、みょーにうそっぽくなってしまう。
作り手は、「えー、ありえないだろう」ということを、なくしていく必要がある。
ぼくの大好きだった「寅さん(男はつらいよ)」は、設定そのものがまず、ありえないものだった。渥美清の演じる寅さんは、全国を旅しながらテキ屋を行い、どこで仕入れていたのかも分からない商品を売って生活しているという設定だ。
このありえない設定について、山田洋次監督はどういう態度だったのだろう。
寅さんが、1日にいくら稼いでいるとか、勝手に縁日でお店を出しても誰にも文句をいわれないとか、どこで商品を仕入れているのかとか、描けばたちまちうそがばれるような、設定の根本に関わることについては、一度も描かなかった。寅さんの荒唐無稽な設定を一切説明しなかったから、観客は、この設定をあまり考えることなく、映画を見ていたのではないだろうか。
そこに山田洋次監督のすごさがある。
ぼくの知人のある人は、「寅さん」が嫌いだと言っていた。映画を見ないで。
「遊んで生活しているような寅さんなんてありえんやろ」
山田洋次監督が描かなかった設定の荒唐無稽さを、この人は指摘していた。「寅さん」という映画を見なかった人だからこそ、寅さんの設定のリアリティーのなさを見ることができたのだろう。
寅さんに描かれていたのは、一生懸命に生きる庶民の生活だった。山田洋次監督は、寅さんのまわりの人々をリアリズムの精神で描いた。だからこそ、映画に存在感が生まれ、見た人を夢中にさせたのだ。
最近の映画は、描いている世界の中にいとも簡単にうそがばれるような描き方が出てくる。
映画は、フィクションだから、おかしな描き方をするとたちまち、うそがばれてしまう。そのことを知らないで映画が作られているのかも知れない。
007のような映画も好きで、スターウォーズなども夢中になってみていた一人だ。SFの場合、設定そのものが、非現実的だが、この非現実的な世界を描くには、徹底的に設定にこだわって、その世界観が成り立つようにしなければならない。
007は、殺しのライセンスをもっており、そのことについては、誰も彼を一切せめない。外国人を殺そうが、それは一切許されているという暗黙の了解がある。現実の世界で、007のように派手にドンパチしたら、たちまち国際問題が浮上し、イギリスは大変な事態に落ち入ってしまう。殺しのライセンスは、どう考えても、国際的に通用する変なライセンスだといわなければならない。しかし、このことを前提にして映画を作るので、007の世界は成り立っている。
スターウォーズでは、フォース(理力)の力をもったジェダイのお話だ。この映画では、フォースとは何かが徹底的に描かれていく。フォースの力を追及することによって成り立っている映画だといっていいだろう。この世界観を成立させるために、スターウォーズは、良く考え抜かれてつくられている。
見ていて、映画の世界から目が覚めるような、そんな描き方だけはしないで欲しい。


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Posted by 東芝 弘明