不破さんの本を丹念に読みたい

雑感

読めていない不破さんの本が本棚に並んでいる。
「ぼくたちが読むスピードよりも書くスピードの方が、はるかに速いよね」
こんな冗談を言ったことがある。それを機会に読み始めたのなら、語った言葉にも真実味が出てくるのだけれど、それ以降も読んでこなかったので、不破さんの本はかなりの幅を持って本棚を占領している。
日本における科学的社会主義研究という言葉を発したとすれば、どんな人でも不破さんの本を無視することはできないと思っている。

この夏、共産党内の学習合宿を企画して、ぼくが講義に選んだのは、党綱領の未来社会論と『空想から科学』におけるエンゲルスの資本主義の根本矛盾の規定についてだった。
このテーマに沿って不破さんの本の関係部分を読んでいくと、マルクスとエンゲルスの基本矛盾の捉え方には決定的な違いがあることが分かってきた。不破さんの研究をもってしても、明確にこう違うという結論に達するまで10年ほどの時間が経過している。

このテーマだけでも相当な時間がかかっていることを知ったのは収穫だった。他のテーマの研究にも時間的経過、研究の進化があるだろう。これらのことを追いかけるだけでも、膨大な時間がかかる。でも不破さんの本を読み進める中で、科学的社会主義の認識を深める意味はかなり大きい。

マルクスが明らかにした科学的社会主義の理論的成果を、その成立過程に沿って明らかにするという不破さんの研究方法は、史的唯物論的な研究方法と呼んでいいかも知れない。マルクス自身の論理を歴史的過程の中で明らかにすることによって、マルクスの研究の到達点が浮き彫りになってくる。若い時代のマルクスの研究成果と、理論的研究や歴史的な事件やたたかいに取り組んだ後の理論的成果とは、自ずから違いがあり発展がある。そういう発展を度外視して、若い時代のマルクスも晩年のマルクスも同一線上において、「完成されたマルクス」というような読み方をすれば、多くの誤りに陥る。
マルクスをマルクスの歴史の中に置いて研究するというようなことをやりとげるためには、マルクスの文献を、草稿も含めて読み込む必要があるが、こういう膨大な研究をやり遂げる人はほとんど皆無に近いかも知れない。しかし、誰かがきちんと不破さんの研究をマルクスの論文と照らし合わせて、研究する必要があるだろう。不破さんの研究に対する検証も今後の課題になる。しかし、そういう仕事は専門家にお願いするしかないだろう。
膨大な古典のいくつかしか読んでいないぼくは、不破さんの書いた本を丹念に読むので精一杯だと思われる。でも、不破さんの研究を不破さんの歴史の中において丹念に読んで理解すれば、かなりの理論的な成果を自分のものに出来ると思う。

不破さんが明らかにした科学的社会主義の「ルネサンス」をぼくは身につけたい。自分の力で不破さんが明らかにしたことを縦横に理解して、自分の言葉で説明できるようになれば、理論は自分の血肉になって生きてくる。ぼくが身につけたいのは、そういう生きた理論だ。自分の力で現実を分析できる力を手に入れたい。そのためには、自分の言葉で縦横に語れるところまで問題や論理をつかむ必要がある。不破さんがこう書いているからこうだというのは、ほとんど意味がない。学ぶべきなのは、論理の中に流れているテーマと精神だ。そのためには、不破さんの本を追いかけて読み続ける必要がある。


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雑感

Posted by 東芝 弘明