富裕層向けの情報番組
格差と貧困が拡大しているなか、テレビを見ていてもお金を持っている人向けの情報番組なのかと思ってしまうようなニュースがあった。東京の夜を楽しむということで、品川プリンスホテルのナイトショーや食事のことを紹介し、さらに東京の都会でも湯治が楽しめるサービスを紹介していた。地方の衰退を毎日のように突きつけられているぼくの側から見ると、「なんと脳天気な番組か」と思ってしまった。
日本の崩壊が始まっているように感じているときに、都会の華やかな演出や外国人観光客を目当てにした商売を見せられると、滅びる前の栄華に見えてしまう。
「9万円の料理は高くないですか」
「高いとは思いますが、もっと高くてもそれが当たり前ということで成り立っていますよ。ニューヨークではラーメンが2000円するでしょ。日本の料理は安いんですよ。もっと高くしてもいけると思います」
テレビからはこういうやり取りが流れていた。
格差と貧困が広がってくると、成功している人びと向けのビジネスというものが成り立ってきて、そういう人向けの情報やサービスが都市を中心に成立してくる。その一方には、わずかばかりの年金だけで生活している人々がたくさんいる、かつらぎ町のような地域があり、夕方のスーパーの安売りにものすごく並んでいるという現実がある。地方における地域の衰退がじわじわと都市を脅かしつつある現実が、都市から見ていると見えない上に、格差と貧困の広がりの中で富裕層の側にある人々は、栄華を極めている生活の中で、日本が崩壊している現実が見えなくなりつつある。
もちろん、東京には深刻な貧困の現実がある。都市には貧困層も集まってくるが、富裕層はそういう人々の現実を見ようとはしない。東京には「パンジー」という俗語があり、この言葉は「一般人」を意味している。年収800万円でもパンジーに過ぎないらしい。
「カップラーメンは400円ぐらいですか」という意味のことを答弁した麻生さんは、富裕層として日々生活し、経済を語っている。こういう人々が安倍政権を支え、アベノミクスを推進している。富裕層にとっては、アベノミクスは一定の成功を納めている。全体としてGDPが伸びなくなり、国民所得が減少している中で、大企業の側には富が蓄積し、内部留保がたまっているが、それは国民の所得が大企業の側に移動しただけ、国民全体の富が富裕層に移動しただけということに過ぎない。
貧困が確実に広がり、その絶対数を拡大しつつあることを問題にして、解決を図るよう努力しないと日本の崩壊には歯止めがかからない。政治と経済の大問題は格差が拡大し、貧困が広がっている社会構造にある。1990年代からこういう経済になるように条件を整備してきた政治が、日本全体を崩壊の危機に立たせてきた。地方の衰退は、日本の危機を端的に具体的に表している。ここを直視し解決を図る政治を実行しないと日本の未来はない。
久しぶりに訪問しました(笑
「富裕層向け」もあれば「大阪環状線立ち飲みツアー」もTVでは放映しています。
どこにフォーカスして見るかによって分かれるんでしょうね。
私の友人は、仕事を求めて東京に行ってしまいました。
大阪にいても「仕事が無い」そうです。厳密には東京に仕事が多いということでしょうが
もっと田舎の和歌山に仕事が少なく人口が流出するのは、残念ながら自然の摂理です。
和歌山に東京より魅力とギャランティーが高い仕事があれば人は減りません。
この自然の摂理を無理に止めようと地方交付税で箱もの→土建屋では人の流出は止まりません。
東京始め都会にはリスクを背負って勝負する人が集まってきます。
そこで成功した人の中には派手な生活をする人もいると思います。
しかし、こういったリスクを負ってでも勝負する人が減ってしまったなら
和歌山だけではなく、日本から去って行くと思いますよ。
あと、道州制賛成の私が思うに国会議員はカップ麺の値段など知らなくて良いと思います。
むしろ、そんな細かな事じゃなく外交、経済、国防など大局での仕事を望みます。
東芝さんの言うことを実現するとしたら、地方が独立して有望な人材が流出しないような
独自のアイデアと努力で経済を活性化させる他ありません。それは、国の政治ではなく
地方自治の仕事ではありませんか?
最後に、先天性の貧富以外は努力で勝ち取る他ありません。
逆に努力して頑張った人が怠けてる人と並列にすることこそが日本の崩壊だと思います。
ワタナベさん。久しぶりです。少し違った視点で書いてみます。
地域間の競争とか、活性化競争とか、地域の生き残りをかけて知恵を絞れとか、いろいろな言い方がされています。しかし、こういうことに対してはものすごく違和感があります。人間同士競争しあうことよりも、助け合って共存して生きて行くことの方がはるかに大切であり、都市と農村も有機的につながっていることを自覚して、平和共存的に助け合うことが大事だと思います。
地域何競争とか、都市のがんばりだとか田舎はがんばっていないとか、そういう視点が、結局は資本どおしの競争を国民にまで押しつけて、日本全体をブラック社会にしているのではないでしょうか。人々は平和のうちに共存し、助け合いながら発展することを考えるべきだと思います。
仕事は生きるためにどうしても必要ですが、人間は仕事のために生きるという側面とともに、自分の自由な時間を自由に生きるためにも存在しているのだと思います。文化や芸術というのは、人間の自由な時間によって生み出されてきた側面があります。仕事は、人間性の向上にとって極めて有用な役割を果たしていますが、仕事以外の自由な時間が、仕事という制約を大きく超えて人間を発展させる側面をもっています。
仕事ばかにならないためには、自由な時間を活用して自分の好奇心を多面的に発展させることが重要です。それが結局、仕事にも大きな力を発揮するようになると思います。
経済的な競争よりも人間と人間の助け合いと共存。ここに社会発展の力があると思います。
日本は、資本の利潤追求の中で、売るための商品開発の果てに、人間と社会にとって極めて重要な商品、しかも素材という分野で商品の有用性を根本から疑わざるを得ないような不正を重ねるに至っています。これは、商品を貨幣に転化させて資本の蓄積と増大を図ろうとすることによって、商品生産そのものを歪めたものです。あくなき利潤の追求、徹底的なコスト削減と儲けの「最適化」の中からモノづくりに深刻な歪みが生じていることを直視する必要があります。
自動車から電気へとシフトするかのように見えていた産業部門で、著しい不正と衰退が顕著になって、大手メーカーが青息吐息状態になったのは、家電を中心に物が売れなくなったからですよね。徹底的な労働者の賃金カットが、国内市場を狭くして、物が売れない現象を蔓延させ、自らの市場を掘り崩しています。電機メーカーが、まちづくりとかに観点を置きかえて、いろいろな分野に手を出し始めているのも、家電が売れなくなったからです。電気製品が生活の隅々に行き渡り、家電の価格がものすごく下がっていったからだというのも一つの側面ですが、薄型テレビの盛衰を見ていると、新製品が買われない現象が、売れることを見込んで技術革新を繰り返しても、物が売れないという行き詰まりにぶち当たっているからだと思います。
資本のあくなき蓄積は、労働者の賃金カットによって成し遂げられてきました。これが悪循環の元凶として資本の屋台骨を脅かしつつある問題と、地方の衰退は深いところでつながっています。そういうことも考える必要があると思っています。
日本が衰退しているという話はもう20年も前からいわれていることですよ。ただ時の政権や国民が衰退したらどうなるか無頓着だっただけだと思います。
さんまさん。日本の衰退の根は、アメリカによる支配と巨大企業による政治経済の支配そのものから生まれていると思っています。
東芝さん
話がずいぶんずれていませんか?
おっしゃるとおり、金持ちになりたい人はガツガツ生きれば良いし、、
ノンビリ生きたい人は競争せず生きれば良いわけです。
心と体を犠牲にしても金を得たい人、清貧でも心にゆとりが欲しい人、
それぞれでOKなんですよ。
リスク&リターン。
ゆとりとお金の両方欲しい。
これは、通じませんね。
東芝さんの最初は「金持ちばかりが良い目しやがって」
「貧乏人との格差が広がっている」事を書いているのに
次の話は、それぞれの生き方の話をしていらっしゃいます。
話がずいぶんズレてます(笑)
また、「不正と衰退」については残念ながら過去からルーティンに行われてたと思いますよ。
コンプライアンスの強化で不正が浮き彫りになっただけだと思いますよ。
人間は文化と芸術と経済と政治とを味わって楽しく生きる存在であってほしいと思っているのですが。
仕事をするために生きるのではなく、自由に生きる中で自分の能力を伸ばして、人生を楽しめるというのが理想の生き方です。遊んで生きるというのではなく、仕事も芸術活動のように楽しみたいという感じですね。
日本がそういう国になればいいと思っているのですが。
>人生を楽しめるというのが理想の生き方です。
本当にそうですね。
我が家は子供2人が私大という現実があり
まだまだ働かなくてはいけません(笑
働いてる現役時代も、人生を楽しめるような生き方ができればいいなと思います。仕事の楽しみもあり、休暇の楽しみもある。自分の関心ある分野に対する探求もあって、人生が満喫できるような、そういうスタイルです。
そうなるためには、社会全体の労働時間が短縮されて、自由な時間が増えることが重要だと思います。
8時間は仕事のために、8時間は睡眠のために、8時間は自由な時間(家族と過ごす時間も含めて)、まずはこれだと思います。