運動の中でとらえる

雑感,哲学

「事物を運動の中でとらえる」というのは、運動の中にある事物をありのままにとらえるということを意味する。運動は事物の存在の仕方である。運動のない事物や物質というのはあり得ない。事物の運動を考えるときに、前提の問題としてすべての事物が連関と連鎖の中にあるということを忘れてはならない。連関と連鎖を認識するためには、差異に注目して調べることが重要だと書いた。この作業を進める始めると、連関と連鎖が見えてくるのは当然だが、同時に運動と変化についても見え始める。
差異による比較を具体的に考えて見よう。
予算を例にとる。予算をどう比較するのか。
近隣自治体と比較する。例えばかつらぎ町と九度山町、高野町を比較する。橋本市、紀の川市、岩出市と比較する。これだけでかなりかつらぎ町と他の自治体との違いが見えてくる。人口の違いや予算の規模の違いだけでなく、どうしてかつらぎ町や橋本市が財政的に苦しくなったのか、他の自治体とはどう違うのか、何が違うのかが明らかになる。産業構造の違いも大きい。
類似団体と比較する。全国には、かつらぎ町と人口や町の成り立ちが類似している団体がある。この類似団体との比較は、すでに国が資料として用意している。この比較表を見るだけでかなりのことが把握できる。他の自治体や類似団体との比較を通じて、他人の姿を見ることによって、自分の自治体の姿が鮮明になる。
経年的に比較する。比較の方法の重要な一つであり出発になるのは、自分の自治体の過去の予算・決算の比較だ。この比較は特別の意味を持つ。事物は、さまざまな可能性を持って動いている。しかし、複雑な連関と連鎖の中で、過去の予算や決算は、選び取られたり、そうならざるを得なかった「確定した事実、選択された事実」によって成り立っている。事業の中には過去5年間経過して継続しているものもある。経年的比較というのは、歴史的な経緯と変化を見ることになる。これは、事物の発展の歴史、運動の歴史を把握することを意味する。
事物の運動というのは、その事物が変化するのにどうしても必要だった時間を含んでいる。歴史的経緯、時間的な変化を把握するという作業は、事物の運動を把握することを意味する。

繰り返すが、動いているものを人間が把握するのは極めて難しい。運動を把握するのが難しいので、ありとあらゆる分析は、一旦事物を静止させ、いろいろな要因を取り除いて、事物の運動の中心を担っている要素を取り出して、調べるということを必要とする。がん患者のがんを特定するためには、たとえば、がんの傾向を示す血液検査から出発し、がん細胞を発見したら、その細胞を取り出して、スライスし顕微鏡などで検査をし、さらに細胞の性質を把握して、このがん細胞がどういう性質のがんであるのかを把握して、この細胞がどう変化していくのかを見極める。がん細胞の性質が完全に特定できれば、それにぴったりと合致する薬を処方することも可能になっている。がん細胞の性質を完全に把握することは難しいし、がんの進行状況にもよるが、それができた場合は、患者の命を守ることができる。進行の状況によれば、切除するだけで抗がん剤の治療も必要ない場合もある。

事物を静止させて、要素に分解し、分析してその事物の性質を把握していけば、連関の具体的な姿が見えてくる。経年的な変化を把握しながら分析をすすめていくと、連関と連鎖とともに事物の運動も見えてくる。差異による比較検討と経年的変化を把握して比較検討する作業というのは、同時並行的に行われる。予算・決算にもどれば、最初は差異による比較ということだが、経年的な比較が出発になってもいいし、類似団体との比較が出発になってもいい。繰り返しいろいろな角度で比較検討することによって、事物の立体的な姿が、歴史的な経緯も含めて立体的、構造的に見えてくる。

事物の変化は、把握しにくいが歴史的経緯を踏まえれば変化は把握できる。このことは極めて重要な視点になる。


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Posted by 東芝 弘明