固定した境界線はない

雑感,哲学

「事物に固定した境界線はない」。これは一体何を意味するのだろうか。すべての事物は運動の中にあると書いた。運動している事物というのはたえず変化している。変化の中にある事物というのは、変化の中にあるだけに調べれば調べるほど、事物のクッキリとした輪郭というものがはっきりしなくなる。2200年以上の人類の努力を通じて、人間は地球上にある物質の原子が100個ほどあることを把握し、それぞれの性質の違う原子を分類してきた。しかし、さらに事実に分け入って行くと性質の違う原子が、同じ構造を持っていることが分かっている。陽子と中性子と電子によって成り立っている原子の構造が変わると不動のように見えていた原子が、歴史的に形成されてきた姿も見え、原子によっては、長い時間をかけて崩壊し、他の物質に転化するものもあることが見えてきた。
分子の結合である科学的な変化の世界になると分子構造の変化によって、さまざまな物質が発生し、まわりにいろいろな変化を引きおこしているダイナミックな姿が見えてくる。原子の変化以上に激しい分子の変化を把握するのは難しいが、それぞれの分子の性質を把握しているので、分子の結合がどのような条件の下で進行しているのかを把握できるようになっている。
生物の変化ということになると、細胞の変化は化学的変化よりももっと激しい。人間の細胞は、一定の期間をへてすべて入れ替わる。死滅していく細胞と生まれる細胞が同時に存在しているので、細胞レベルでみれば、生と死というのはたえず繰り返されているものになる。事物を徹底的に調査していくと、その事物を構成している要素が生成と発展消滅の過程にあることが見えてくる。この事物の中にある運動の中には、相互の転化しあっているものもある。
事物の徹底的な探求は、固定された境界線というものが、事物には存在しないことを地球の大地と海との関係というわりと簡単な事実でも、海の傍まで行くとどこまでが海岸線で、どこまでが大地なのか分からない。固定した境界線が海と大地にはないことが明らかになる。日本の面積を特定しているのは、このあいまいな境界線について人間がルールを決めて線を引いているからに他ならない。大陸の歴史そのものが、地球の運動によって歴史的に形成されたものであり、日本列島もこの中で成立したこと、アジアと日本は陸続きだったことも分かっている。

資本主義社会を中心的に形成している人間の関係は資本家と労働者の関係にあるが、資本家階級に位置していた人間が没落して労働者になる例は極めて多い。逆に労働者だった人が資本家になる例も多い。資本家と労働者の対立は、かなりはっきりしているが、この問題でも境界線はあいまいだということだ。

固定した境界線がないことを考慮に入れて事物を見ていくことが、硬直した考え方を退ける力になる。事実を探究して行って、こういう境界線がはっきりしない事実に直面したら、それ自身が事物の成り立ちそのものだということを理解することが重要になる。


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Posted by 東芝 弘明